常識と非常識のあいだ
先日マナマで行われたW杯最終予選 バーレーン vs 日本 で、日本の選手に対してレーザー光線による妨害行為や試合終了後にピッチにペットボトルが投げ込まれた行為に対して、JFAはAFCに抗議文を送るそうです。
当然の処置。 ・・・ではありますが、中村俊輔選手のコメントを聞くと、それほどとんでもない事という認識がないようです。
「全く気にならない。イタリアの時からあんなことはあったから、(バーレーン戦での洗礼は)ほとんど経験済み。後にも先にもレッジョ(レッジーナ)の経験が大きい」
「好んで選ぶ必要もないと思うけれど、厳しい環境がある以上、そこで結果を出さないといけない。『それが嫌だから、代表で戦わない』なんて弱音は絶対に言えない。自分がアジア人である以上は、アジアで勝たないといけない」
なんとも頼もしい言葉。
つまり、私達が“とんでもない!”とか“最低!”と思った事は中東や欧州では“まぁよくある事”だったのかと。
行為自体は許されるものではありませんが、それも含めてアウェーの洗礼であり、その洗礼の常識に対する認知レベルが低かったということだったのではないかと思ってしまいました。
多分JFAも抗議文は送る結論を出しましたが、その辺をよく熟考していたのではないでしょうか。
サポーターという文化がなかった石川県。
当初、あたりまえのように相手チームに放ったブーイングを周囲から非難された事があります。
「スタンドの雰囲気が悪くなる」「そんな行為は子供に悪影響なのでは」などなど。
そんな批判を受けたとき、今の俊輔選手の心境と同じだったような気がしました。
今ではタイミングや音量など申し分のないブーイングが当たり前のように自然発生しており、当時の批判は笑い話になっていますが。
レベルは全然違いますが、日本はまだまだサッカー先進国となるまでの道のりにおけるステップはあるのかもしれませんね。
アウェーの洗礼も全て織り込み済みとして屈せず、それでいて結果“勝利”する。
そんな真価が形となって表れた貴重な試合だったのかもしれません。