僕はこういう小説が大好きみたいだ。救いようがない結末を描かれると、不思議なものでその答えを自分で探そうとする。そのことに今さら気づいた。
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一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)
929円
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人の感じ方は、人それぞれだからそれでいいんだよ!という解釈しなきゃいけない、作品よりもしっかり作者としてオチを作ってくれている方がエンターテイメントとしてはスッキリするのだ。だからずっとそういうものが自分は好きなんだと思っていた。
でも、こういうホンモノの作品を読むと、ものすごい宿題を出された気がする。宿題なんて大っ嫌いだったのに、今は自分なりの考えを探すという行為に価値を感じている。
あっちが正しいということは、こっちではゼッタイやっちゃいけないことだったりすんだよね。わかんないよね。
キミがゼッタイこれはダメでしょって思ってることも、もしかしたら本当はとてもいい影響の方が多い場合もあるんだよね。
だからこそ、誰かが与えてくれる正解なんかを自分の正解にするんじゃなくて、自分の頭でしっかり考えることが何よりも過去いいんだよね。
自分の気持ちを全部言っちゃう前に、相手の立場に立って考えなさいって昔よく言われたことはやっぱ正しかったんだな。って、そんな気持ちになったね。
こんなの書ける人間の頭はどうなってんだろうか。