世俗的な幸せと霊的な幸せは互いに排斥しあう。その際たるものが快楽だ。趣味の楽しみも霊性を遠ざけてしまう。


 だから、この世で恵まれない人、薄幸な人も実はそこに隠された意味がある。彼らはその不遇さゆえに、この世に下手な柵がなく、その分だけ霊的なものを受け付け易いのである。またそうした厳しい状況下にあることによって、彼らの霊性は伸びている。逆に言ってしまえば、幸せな環境下で霊性が伸びることはないのだ。


 社会的な地位なども、もしそこに執着心があれば、死んでしまった後、すべて天国への道の障害物に化けてしまう。だから月並みな言い方だが、天国に入るには、この世で何も持たないことが一番なのだ。神は特定の誰かに他者よりも多くの恵を与えることはない。他者に抜きん出て神に愛される特定の個人も断じていない。そう捉えるのは、背後の霊的な意味を読めない、この世の人間の浅はかさゆえのことである。

 神秘主義は目には見えない、知覚の対象にはならない真理を扱う。神秘主義は、言わば、超脳主義である。


 神秘主義は科学でも哲学でもないが、己の肉体という神から与えられた、そして神と触れ合うための神殿の内に、神と人知れず交わりを保つのである。

 時間が認識の対象にならない以上、人は時間について考えることは出来ない。仮に、時間について考えてみようとしても、時間について「時間的に」考えてしまう。


 時間について考える為には、人間の認識が時間の外側に出る必要があるが、そのためには永遠性の認識を獲得しなければならない。そしてそれは、時間性の認識、即ち脳的な認識を超越するということなのだ。