夢の宝箱・白黒テレビ

私に物心がついたころ、居間にはすでにテレビがありました。

あの頃のテレビは今のようにテレビ台なんていらず、木製の本体から4本の足が伸びてて置けば丁度いい高さになってた。

もちろんモノクロの真空管式というやつで、スイッチを入れてから画面が出るまで30秒以上かかってたなぁ~

画面は四角いというより丸い印象のほうが強かったかな?

サイズも今のような大画面じゃなく・・ ん? そもそも当時のテレビに画面サイズなんてあったのかな?


↓↓↓コレコレ! 私の知る限りどこも似たようなサイズでデザインも
           そう大差はなかったような(笑)
$思い出


チャンネルはダイヤルをガチャガチャと回すタイプで、これが私には結構かたくて力を入れて回してました。

当時は夕飯がすむと家族は全員テレビの前に集まります。

夏は蚊取り線香をたきながら扇風機の風に当りつつ、冬はコタツに足を突っ込んで各自みかんを頬張りながらみんなで同じ番組を見ます!

シャボン玉ホリデー 底抜け脱線ゲーム てなもんや三度笠 コント55号や8時だよ全員集合などで大笑いして、そっくりショーや三匹の侍に夢中になった。

鉄人28号 隠密剣士 忍者部隊月光 ひょっこりひょうたん島 姿三四郎 などなど、どの番組が先でどの番組が後か年代こそはっきりとは覚えてませんが、楽しみにしてた番組をあげればきりがありません。



放送局も最初の頃はVHFだけしかなく、UHFは後に専用の受信機を取り付けて見てました 。


↓↓↓ こんなやつ! 確かUHFコンバーターって呼んでたような?

$思い出



カラー放送が始まると画面の隅に【カラー】て表示が出て、モノクロしか見たこと無い私は妙な気分になったものです(笑)

そのため、今も大好きなウルトラセブンも【カラー】放送だったのにモノクロで観てた私は再放送まで身体が赤い事さえ分からないままでした!


$思い出





あと、途中から小さな画面でも少し大きく見るためのレンズのようなものが売り出され、我が家でもそれにもれず取り付けていました。


↓↓↓ これ、プラスチック製の大きな虫眼鏡みたいなものかな。

$思い出


このレンズの左右に付いてる金属製のアームをテレビの上に引っかけるように置いて、後はピントが合うように前後調節するだけ。
それだけであら不思議、小さく観にくかったテレビも大画面へと早変わり~(笑) 

というわけで、テレビという小さな木の箱も、私から見れば次から次へと夢が飛び出す不思議な宝箱でした!


しかしやがて時代の流れとともに白黒だったテレビもカラーへと変わり、中にはリモコンで操作できるものも現れ始めます。

発売当初は三種の神器と呼ばれとても貴重で高価なものだったテレビ・・・・一家に1台となるまでには大変時間がかかったのではないでしょうか?


そんなテレビも今では一家に1台どころか一人1台、いやいやそれどころか車にも取り付けられてたり、携帯電話の機能の一部として持ち歩くことさえも!

考えてみたら、当時のテレビは私のような少年たちに夢を与えてくれるだけでなく、一つの部屋で同じ時間に同じ番組を観ることで、家族団欒という大切なの間を与えてくれていたのではないでしょうか?


そう思うと、なんかさみしい気もしますねぇ~