(前回の続きとなります。)
二十歳のリストカットを経て、大学を卒業し、社会人になりました。
さほど大きくない町工場の経理事務員として入社しました。
良い上司にも恵まれ、公私ともに人並みに楽しく社会人生活を送っていました。
26歳で結婚、そしてなぜか会社で最も多忙な生産管理部異動になり、
昼夜問わず、身を粉にして働くことになります。
納期や品質問題に追われ、始発で出社し、終電で帰る生活。
睡眠時間はひどい時で3時間ほど。
文字通り、命を削って働いた時代でした。
頑張りすぎて30代前半で生理が数カ月も止まり、
産業医からストップが入りました。
その後、営業事務へ異動になりました。
33歳の頃でした。
我武者羅に髪を振り乱して働いていた生産管理から、
比較的穏やかな営業事務。
今まで色んな業務を同時進行で捌いていた1分1秒を競う環境から、
ただ単に入力と電話対応をしていれば成り立ってしまう環境への変化に戸惑いました。
そして今まで緊張感と責任感で保っていたバランスが、一気に崩れました。
毎日が物足りなさと、自己無力感、自己不要感の堆積。
コマが回転力を失った途端に倒れる原理と同じです。
私は過食症になりました。
今まで工場内を駆け回っていた業務形態からデスクワークへの変化。
消費カロリーが減り、体重が増加するのは必然でした。
身長160cmで47㎏をキープしていたところから、
48㎏、49㎏と増加する体重計の数値と対峙し、大いに焦りました。
何が何でも47㎏に戻すのだと奮起しました。
若いころは少し食事を減らせばすぐに体重が減ります。
でも30代になれば同じようにはいかなくなるんです。
そうして私は過激なダイエットを開始しました。
朝は栄養ドリンクだけ。
お昼ご飯はカロリーメイト2本と豆乳とサラダだけ。
夜も納豆とサラダと酵素ドリンクで我慢。
当時の1日の摂取カロリーは確実に1,000kcalを下回っていました。
そんな生活を2~3週間続けていれば我慢も限界になります。
明らかに体は栄養不足で、足りないカロリーを全力で求めるようになります。
ある日ちょっとしたお菓子を食べてしまったことをきっかけに
堰を切ったように、何かを取り返すかのように食べ始めました。
朝からチョコパイとプリン、コンビニで肉まんとチョコレート・・なんて日もありました。
職場での昼ご飯は、人目もあるので常識の範囲内で食べますが、
夜の過食は、人に言えたものじゃありませんでした。
普通に晩ご飯を食べた後、
わざわざ夜道を歩いてスーパーまで行き、
お総菜コーナーで焼きそばや焼き鳥、唐揚げを買い、
大盛カップラーメンとおにぎり、
ケーキと4個入りのシュークリーム、スナック菓子・・・
YouTubeで「過食の治し方」を見ながら無心に食べていました。
胃袋に食べ物を詰め込むことで、言いようもない虚無感の埋め合わせをしていたのだと思います。
食べても食べても足りない。
渇くような不足感。
そして食べた後にハッと我に返る。
強い後悔と懺悔の念。
喉にスプーンを突っ込んで吐こうとするも、吐けない・・・。
そして下剤の乱用。
吐くために、逆立ちまでしましたよ。笑
でも結局、私は一度も吐けませんでした。
過食に悩みながらも常にダイエットを意識しながらの生活でした。
ホットヨガに通ったり、家でスクワットをしたり。
当時、ライザップが名を轟かせていた時代です。
ライザップを模倣したパーソナルトレーニング型ジムが流行し、
私も意を決して、とあるジムに入会しました。
それが運命の分岐点となりました。
実物で見たことも無かったスミスマシーンやバーベル。
トレーナーの指導の下、
重りを付けない、20㎏のバーだけでのスクワットからスタートしました。
今までの運動不足から、スクワット20回で呼吸も乱れ、
航空病のように耳の奥の気圧も上がってしまう始末。
トレーニングも回を重ねるごとに慣れて上手になり、
扱える重量も上がってきました。
楽しかったですね。
とても楽しかった。
少しずつ体がシェイプされていく感覚が、
たまらなく楽しく感じました。
過食の淵から私を救ってくれたのは、
間違いなく、筋トレでした。
食事も指導してもらうことができるコースだったので、
体つくりのために、食事が いかに大切かということも教わりました。
同時進行で食と栄養のことに興味が向くようになりました。
市販の栄養学の本を読んでみたり、
書店でビビりながら手に取った管理栄養士の参考書を読んでみたり。
薬膳漢方の検定も取りました。
その他、生理学や解剖学、東洋医学や整体についても勉強しました。
(市販の本を数冊ずつ読んだだけですけれども。笑)
とにかく、体の仕組みについて学ぶことが楽しかったですね。
学べば学ぶほど、生きていること自体が
奇跡の上に成り立っているのだということを思い知りました。
体の仕組みに関する知識の増加に伴い、
かつての「生きてしまっている自分への憎しみ」は
霧のように消えていったのです。
体はいつだって、生きたがっているんですよね。
どんなに悲しくつらい瞬間にも、
心臓は動き、体の細胞は常に日々生まれ変わっている。
体は健気(けなげ)ですね。
どこまでも健気です。
こんなにも健気に生きている自分の体を自分で大切にできなくて
いったい誰が自分の体を大切にケアしてくれるだろうか。
体重計の数字しか見なかった頃の私は、
美しさの反対側に立っていたのだと思います。
痩せることだけを目的にして、
あばら骨が浮いているのに、下半身が痩せずに自己嫌悪していました。
そんなメンタルでダイエットをしてもゴールなんて存在しません。
過食症にならなければ、私は恐らく拒食症になっていたと思います。
拒食症は、体の機能を著しく低下させ、脳の萎縮を起こし、
最悪は死に至る恐ろしい心の病です。
(食べない決意の意志が弱くて、私は命拾いをしたのかもしれません・・。)
本当の美しさは、「ただ痩せていること」なんかでは決してあません。
無理に痩せている体ほど、貧相なものは無いと思っています。
また逆に、ふくよかであることが必ずしも悪ではないと思っています。
それは、人それぞれ持ち合わせている遺伝子が異り、適正な体型は一様ではないからです。
大切なことは、自分の体を、自分の存在自体を大切にすること。
個人の美しさは、自身への「愛着」無しには成立しないと思っています。
自分を丁寧にケアし、心も体も大切に扱うこと。
そうすれば、必然的に適正な体型に補正されていきます。
ここまでそれなりに過激な生き様でした。笑
でも、そのおかげで「健康」という
生涯のテーマに出会うことができました。
現在、健康管理士一般指導員の資格試験に向けて勉強中です。
これからも健康に関する事柄を綴っていきたいと思います。
それではまた^^