こんにちは。
ブログを更新しないうちに季節は過ぎ、あっという間に真夏になってしまいました。
中国の戦国時代に生み出され、その後日本にも取り入れられた伝統的な季節の分け方である二十四節気でいえば、今は「大暑」。
一年中で最も暑い季節となります。
近年、大暑(7月20日頃から8月の10日頃まで)を過ぎても長い間暑さが続くので、
健康な人でも体力を削がれてしまいがちですよね。

私が小学生のころの真夏の気温は、暑い日でも34度くらいだったように記憶しています。
夏休みの宿題で気温と月相の新聞の切り抜きを貼って提出する課題が出されていたのを思い出します。
日中は扇風機だけで過ごし、晩ご飯の時間から寝入るまでの時間帯だけ冷房をつけていました。
祖母の家では、庭に打ち水をして地面の温度を鎮めていましたね。

それから〇十年も経過してしまいました。
時代の変遷とともに、気温まで変化してしまうということに恐怖しています。
アスファルトからの照り返しが厳しく、必要以上に地面の温度を上昇させてしまいます。
炎天下で倒れると、地面の熱で火傷までしてしまうという恐ろしい時代です。

私は田舎に住んでいます。
山や森が身近にあります。
森の木々を渡って吹いてくる風は、明らかに浄化されています。
涼しく、そしてとても優しい良い匂いがします。
森の近くに住んでいれば、きっとこの時代でもクーラーなしに暮らせそうです。
(あいにく、私の家は森から少し離れた住宅地にあるので、夏場はずっと冷房にお世話になっています。)

冷房のない時代、人間の生命力のみで真夏を乗り切っていた時代、
人はどんな工夫をして、いかに暑さをしのいで暮らしていたのでしょうね。
多分ですが、昔は自然とうまく付き合うことができる感を持っている人が、今よりもずっと多かったのではないかと思います。

夏の野菜は体の熱を冷ます作用があるものが多いです。
茄子や胡瓜はその代表的なものですね。
家の中に涼しい風を取り込むことが上手だったり、
風鈴の音が、高ぶった神経を鎮静させる作用があることを体感で知っていたり。

今の時代よりも、明らかに気温が涼しかったのは大きい気はしますが、
それでも工夫次第で私たちも夏場を元気に乗り越えられると思っています。

季節の旬の野菜が体に適している理由、
森を抜ける風が心に効く理由、
川のせせらぎや鳥の声に安心できる理由、
月が満ち欠けしなければいけない理由、
夏の空がどこまでも蒼い理由。

私は全てに理由があると思っています。
科学的に証明されたロジックではなく、
もっと深い部分で構成されている本当の理由。

私の人生は、それを自分なりに解明している旅なんじゃないかと思う時があります。

「自分自身の子供の父である女性」
”自分の道の意思、あるいは入り込んできた新しい意思を自分の中で育てることで変化してゆく人です。
頭ではまだ理解できていない衝動が自分の中で膨らみ、
ある程度時間が経過して初めてそれが何かわかるという時期があるでしょう。”
(松村潔氏『愛蔵版サビアン占星術』より)

上記は占星術のひとつで、ホロスコープ上の360度における星の位置にひとつずつ意味を付す「サビアン占星術」と言われるものです。
近代、占星術家と霊能力者がコラボで考案した比較的新しい占星術だそうです。

私の生まれた日は、蠍座の17度に太陽が位置していました。
私のタイトルは「自分自身の子供の父である女性」だそうで、
抽象度が高すぎて、ちょっと意味が分かりませんが、
注釈を私なりに解釈すると、「わからないものの理由を解明していく人生だと」捉えました。

蠍座17度のテーマは抽象的ではありますが、360度全てに実に様々なテーマが付されています。
例えば牡羊座1度だと「女が水から上がり、アザラシも上がり彼女を抱く」だし、
乙女座の9度だと「未来派の絵を描く男」であり、
魚座の5度は「教会のバザー」となっています。
それぞれに注釈が付されているので、最終的には府落ちできるものが多いように思います。

占星術師見習い中です。
ご興味がある方は無償でホロスコープを読ませていただきます。
アメブロのメールにて生年月日(できれば生まれた時間と出生地)を直接メッセージ下さい。
ただし、感想を頂ける方に限定させていただきます。


何やらとりとめのない内容になってしまいましたが、読んでくださってありがとうございました。
また更新していきます。
 

 

失われた作文力を取り戻すべくブログを書くと誓ったものの、
結局は月に一度のペースになってしまっているのが現実。
生活の中で思うことはたくさんあるが、いざ公開文書に整えようとすると、
やはりどうしても気後れしてしまうのである。

広い広い宇宙の中の小さな地球。
地球の長い長い歴史の中のほんの一瞬を生きる人の人生。
もしかしたら私たちの心配事や悩み事なんて、宇宙の広大さを思えば
限りなくゼロに等しいのかもしれないのだと思うと、
何か、むなしい気持ちになるのは私だけだろうか・・。

先日パワーストーンショップへ行ってきた。
心斎橋にあるこのお店は、私の最愛のマジカルショップのうちのひとつである。

あいにく、私には霊感というものを殆ど持ち合わせていない。
なのにその日、店内はいつになくパワーが強いように感じた。
いわゆる、「石酔い」という現象を体に感じた。
店内の一定の場所付近に近寄ると、なぜかフラフラする、頭がクラクラする。

その時は原因がわからなかったのだが、帰り際、店内を振り返ると
足もとに特大サイズのルチルクオーツが入荷していたことに気がづいた。
お金持ちの石と言われているのがルチルクオーツ。
その日、私にはルチルクオーツは強すぎるということを知った。
(多分永遠に私はお金持ちにはなれないだろう。)

そう、それは余談として、本題はラブラドライトのこと。

ラブラドライトの専門的な説明は石の種先生とウィキペディアに譲るとして。
 

 

 

 
ラブラドライトは「霊性を高める石」とされている。
または「宇宙の力を宿した石」とも。
スピリチュアル要素が高く、持つ人を選ぶ石とされていて、
一部のまとめサイトによれば「怖い石」と表現されているものさえある。

もしも相性が悪ければ、低俗な霊とつながってしまう可能性さえあるとされている石なのだ。
霊が見えてしまったり、見えない声が聞こえてしまったり、
あるいは身に着けて眠ると連日怖い夢を見たり・・・という事例は後をたたないと言う。

そんなラブラドライトが急に気になり始めた今日この頃。
もしも惹かれる石に出会えたら、迎え入れようと思い、
私はパワーストーンショップを訪れた。

その日は、大きめのタンブルタイプのラブラドライトが店頭に並んでいた。
ちょうど『天空の城ラピュタ』の飛行石を思わせる大きさ形のものと出会った。
「怖い石」の前情報を持ち合わせながらも、なぜか、全く怖くなかった。

むしろ、やさしさを感じた。
溢れ出ていた。
献身的に悲しみを吸い込んでくれるような印象。
「これからずっと寄り添っているよ」というメッセージ。
慣れない旅館の障子越しに感じる夜明け前の安心感。

ラブラドライトを連れて帰ったその日、眠るまで石酔いが止まらなかった。
額に飛行石(ラブラドライト)を近づけると車に酔った時に似た感覚が強くなる。
ああ、ルチルクオーツだけじゃなくて、飛行石のパワーもあったのだな、と気が付いた。

その日、怖い夢を見る覚悟を決めて枕元に飛行石を置いて寝たけども、
結局怖い夢は見なかった。

パワーストーンの効果効能は一般的に謳われているものと自分が感じるものは違っていて良いと思う。
ラブラドライトは私に霊性を与えてくれるのかもしれないし、与えてくれないかもしれない。
でもラブラドライトと過ごすようになって数日間、私の心の中は、ずっとやさしい気持ちが鳴り響いている。

人によって違うのかもしれないが、パワーストーンの効果は心に働きかける”ブラウン管テレビの静電気”みたいなものなのだと思う。
パワーストーンが直接現実を変えたりしないし、幸運も不運も連れてはこない。
でもパワーストーンには、持つ者の心に働きかけて、緩やかに意識を変革していく力はあるのだと思う。

現実を作るのは石ではなく、あくまでも自分自身なのだ。

濃い味に慣れすぎていては繊細なものを味わうことは難しい。
それと同じで、普段の生活で喜怒哀楽に振り回されていては、ささやかな心の移ろいを見逃してしまう。
パワーストーンの波動を感じ取るためには、まず己の心を研ぎ澄ませておく必要がある。
心身を清く正しく穏やかに保つことで、見えないものを感じる能力が養われていく。
これは魔女の心得と同じ。

ちなみに、私自身の話をすれば、普段の企業勤めで鬱憤や劣等感、嫉妬心に翻弄され、
日々平均点相当のストレスを抱えて過ごしている。
スティーブジョブズやアメリカの某有名企業がこぞって推奨するような瞑想だってできていないし、
会社で苛立った日には必ずと言って良いほどコンビニスイーツのお世話になっている。
コンビニ弁当も、こってり豚骨ラーメンも食べるし、気づけば1日野菜がラーメンの上のネギだけだった、なんてことだってゼロではない。

昔も今もストレスがなかった時代なんてどこにもないし、恐らく、この先にも夢の黄金時代は訪れない。
生きていれば心配事もあるし不安も恐怖も完全に拭い去ることなんて不可能なのだ。
それが、地球に生きるということなのだと思う。

少しだけ、ほんの少しだけ、見えないものを感じてみる。
目に留まる物事から暗示的な何かを感じ取ろうとしてみる。
玄関を開けた時の匂いから、今日の宇宙の様子を推察してみる。
季節や天気の変遷を知るのと同じように、自分の心の中の揺らぎを感じてみる。
パワーストーンを握り、悠久の時を経て、地球の成分を美しく化合させてきた石の生誕の様子を想像してみる。
石が私の手元に辿り着くまでの工程を想像し、長旅をねぎらう。

人間は地球上の何者とも異なる存在なのだなんて思わないこと。
全てがつながっているということを思い出すこと。

ラブラドライトは、私の心にそんな変化を起こさせる性質があると感じている。
 

 

今年の1月末、私の可愛い妹が娘を出産した。
出産予定日の1か月前にその事実を、しかも母から初めて聞いたということは、ここだけの秘密。
なにゆえ私に教えてくれなかったのだぁぁぁあああ!
と、一時は荒らぶったが、ここはやはり血を分け合った妹。
恨みも呪いもせず、心から祝福している。(嘘ではない。)

『茨の森の眠り姫』
あれは確か、13人目の魔女は王女誕生の祝宴に招待されなかったために大いに荒らぶり、
そして生まれたての王女に死の呪いをかけてしまった、という話であったか。
妹よ、私が13人目の魔女でなくて良かったな。。笑

しかし、私はその13人目の魔女に強い共感を覚える。
そもそも私は蠍座の女。
復讐や呪いとは近似値の生き物なのだ。

13人目の魔女は、12人目の魔女が自身の呪いを緩めてくれることを密かに期待していた。
本当に不幸を願うなら、呪いを解く希望を全て潰した状態で現れただろう。
恐らく13人目の魔女は、本当は心やさしい魔女なのだ。
恵まれない容姿や、良くない要領のために長年葛藤と絶望を繰り返し、
元来穏やかだった心を、自らの心で鬼に変容させてしまった。
・・・私に似てる。

蛇足であるが、私の妹はとても美人である。
クラスの5本の指には確実に入るくらいの美人。
「学生時代はチアリーディング部に所属していた」その情報だけで妹の雰囲気が伝わってしまう。
方や、私は自分の容姿に絶望しながら生きてきた。来世に大いに期待するしかないと思っている。
中学生時代、クラスの男子に影で言われていた言葉は「顔からしてキモイ」である。
容姿はの良し悪しは、当人の人格を大いに左右する。

妹は美人で、私は醜女。
私がいかに拗ねた人生を送ってきたのか、鮮明に伝わっただろうか。

悪意を持って読めば、どんなホロスコープでも将来を不安にさせる要素を祭り上げることはできる。
占星術に限らず、恐らくどんな種類の占いであったとしても同じことだろう。
占いは未来確定論ではない。
変えられない宿命や運命は確かに存在する。
でも人生を決めることができるのは、その運命を生きる当の本人だけである。
進む方へ道は伸びていく。
生まれたての王女の可能性は、果てしなく尊いのだ。

妬み・僻みといった類の仄昏い感情の昇華。

13人目の魔女は、本当は王女様にとびきりの祝福を贈りたかったに違いない。
星占いに祈りを込めて。
王女様の人生が、大いなる幸運に包まれますように。


以前から贈りたかった妹の娘への未来の祝福。
お祝いの品と併せてようやく届けることができた。
私の占星術師としての初仕事だった。
(もちろんプライスレス。)


現在ホロスコープを読ませていただける人を募集中です!
当たったかどうかフィードバックをいただける方限定で無償で読ませて下さい。
ご興味のある方はメッセージを頂ければ幸甚です。

 

今日は関西にある天文科学館に赴こうと考えていた。
が、様々な事象を鑑みて中止にした。
様々な事象の一つには、昨夜の食べ過ぎによる胃痛や、
天気がさほど良くないことも要因の一つである。
あるいは、今日が牡牛座新月であることも大きな理由の一つに含まれる。

牡牛座新月。
牡牛座は「豊かさ」や「お金」、「物質的成功」を象徴している星座とも言われている。
そんな牡牛座で、月が新しく生まれ変わったのだ。
これはもう、外出などしている暇はない!
と思い立ち、今、家でゆっくりすることを頑張っている最中である。

月はひとつの星座を2~2.5日かけて空を巡る。
今宵牡牛座で新月を迎えた月は、また約半月かけて明るく大きな満月に成長する。
次の満月は6月4日、射手座にて。

占星術を学び始めるまでは、新月や満月について深く考察したことなんてなかった。
月が潮の満ち引きに影響していることは有名で、あとは出生率、女性の体のリズムに少なからず影響しているという。
しかし果たして私たちは月々の月の巡りにどれほど敏感に向き合えているだろうか。

ちなみに、私に関しては「ほぼゼロ」である。
何なら、占星術を学び始めた今でも、月の満ち欠けに体や運気の変化を見出すことはできていない。
海水をも持ち上げるほどに強い引力があるにもかかわらず、私は月の視えない力を体感することは、ほぼゼロなのだ。
それは、あまりにも日々の生活に鈍化されてしまいすぎているからだと思う。

夜でも消えない街の光、太陽が沈んでも見えない星々、
不自然に味の濃いもの、重たい荷物と通勤電車、肩こり腰痛、
仕事の納期、職場の人間模様、社会における自分の立ち位置、世間の目、他人との比較、
自然と人間を隔てる、あまりにも多くのものたち。
実に様々な事柄が、自然が及ぼす微かな力に対し人間の感性を鈍くしてしまっている。

一般的な社会生活をしている以上、おそらくよっぽど敏感な人でもない限り、
月や星の見えない力を感じ取ることができる人は稀であろう。
でも敢えて、それを感じているつもりになってみることはできるかもしれない。

私はその「敢えて」を、やってみようと思っている。

例えば、牡牛座新月の日に、物質的な豊かさを感じてみるとか。
あるいは、ルーラーである金星にあやかり、芸術や心地よい空間に浸るとか。
新月に目標を設定するのも良いかもしれない。
次の射手座満月に向かう力にあやかり、何か学業を進めるためのアクションプランを練るのも良いかもしれない。

例えばそう言った占星術的開運行動を続けることにより、宇宙の呼吸と自分のバイオリズムが揃ってくる。
そうすれば、きっともっと生きやすくなってくる。

占星術には根拠があると私は思っている。
新月だからとか満月だからとか、それが牡牛座だとか射手座だとか、
そう言う遠い国のおとぎ話のようなメルヘンな成り立ちではなく、宇宙の科学だと思っている。
地球から見てこの位置に月が巡ってきた時には引力の関係でこう言った現象が起こりやすい、
(季節によっても異なるだろうが、)地球から見て牡射手座がある方角で満月になると、
人間ははこういう気持ちになりやすくなる、とか、
実はそんな科学的根拠が存在するのではないかと私は思っている。
それは月に限らずである。

宇宙の森羅万象が複雑な理屈を構成していて、
解き明かすことができない森羅万象のことを人は「スピリチュアル」と呼ぶのだろう。
理屈で考えてわからないものは、感性で触れる方が良い。
そして感性が豊かな人のことを人は「魔女」と呼ぶのだ。
 

 

ブログを書かなくなって2年が経つ。
以前はほとんど毎日更新していた。
職場も近かったし、何よりも暇だったから。
趣味もなく、通勤に時間を奪われることもないので、存分にブログを執筆することができていた。

おかげで当時、私の文才は格段に上がっていた。
ところが書かなくなって2年も経つと、書けない。
文章という文章が全く書けなくなってしまったのである。

透明感のある文体、余韻の残る文体、瑞々しく奥行きのある文体、
私の得意とする文体が、全て失われてしまったのであった。
仕事でビジネス文書を書く時でさえ、文章能力の衰えを感じずにはいられなかった。

これはいかん、と。
だから私は失われた文体を取り戻すためだけにこのブログを立ち上げた。
実はアメブロは初めてである。
以前はFC2を使って書いていた。
果たしてどちらの方が私に向いているのか、使い比べてみようとも思う。

更新頻度は、週に5日を目指したい。
ただし、6月末までは筋トレの趣味を終わらせていないので、頻度は期待できない。

私は毎朝3時に起床している。
早朝3時に起床し、1時間半かけて大阪職場近くの事務に赴き30分だけトレーニングをする。
8時から職場に出社し、つまらない経理事務員の仕事をこなす。
「こなす」と言うよりも「やり過ごす」または「耐える」あるいは「通り過ぎるのを待つ」と言う言葉の方が相応しい。
そして17時が定時であるが、時に定時退社、時に延長戦、稀に社畜、というスタイルで職務に従事している。

実はこの経理事務員の仕事は想像以上につまらない。
当社は上場企業のはしくれで、それなりの大企業である。
大企業の本社経理の女性一般事務員の「お客様」感。
総合職四輪駆動の皆様が決算で不夜城を築いているさなか、私はここ2か月くらい定時で帰り続けていた。
だって私には仕事が回ってこないのだもの、仕方がないじゃない。
名誉ある高難易度の決算業務は、簿記3級しか所持していない女子大卒のアラフォー女には任せられない模様。

そんな「お客様」扱いに対し、私は「お手伝いさん」を演じて応戦する。
そうすると、たまに残業になると、嫌味なのか他意無くなのか、課長から「ずんもさん、今日は遅いですね」と言われる始末。
言い返す言葉を慎重に選んでしまう。
選び損ねてサイコパスさながらに捻った返事をしてしまったこともある。
あの時、ハゲの課長、絶対退いていたな。

今日はテレワークだった。
お手伝いさんが出社する理由は、上司や優秀な総合職のマヤ女史に来客がある時だ。
来客に茶を出さねばならない。
経費で購入している日本が誇るブランド、「お~いお茶」を来客用の紙コップに注ぐ。
全てのカップに均一の分量、均一の濃さになるように淹れるのが事務員の腕の見せ所なのだ。
アホくさくて、ついつい丁寧に淹れてしまう。
さぞや旨い茶であろう。

若いころは前職で総合職をしていた。
中小企業の社訓「考えるな!感じるんだ!」を燃料に、日々順調に遅れている納期を死に物狂いで追いかけていた。
いや、追われていたという方が現実に沿っている。
今やそんな日々が懐かしくて仕方がない。

そんな激務を経験して育ったアラフォーは、どんな仕事をしても「つまらない」と感じてしまう。
恐らく当時、一生消せない呪いを受けたのだと思っている。

果たして「仕事」とは何だろう。
実はここだけの話、私は経理事務員の仕事は程々に、本当は副業を本業にしていく野望を抱いている。
と言いながら、現在副業の「ふ」の字も始めておらず、完全に妄想の域を脱出していない。

私は占星術師になりたい。

思い起こせば、私は小さいころからスピリチュアルが好きな子供だった。
だからと言って霊感は微塵も無く、視えないものは視えないし、聴こえないものは聴こえない。
「視える系」の占い師には憧れる。
でも霊感を兼ね備えている人物というものは、受け取るものも大きい代わりに、背負うものも大きいのだと言う。
そんな大きなものは、私には背負えない。
せいぜいリュックサックくらいのものしか背負えないから、私には霊感なんて無くて正解。
そう、何を隠そう、私は器の小さな人間なのだ。

占星術は学問だと思っている。
西洋占星術の歴史は長く、ホロスコープという星の配置図が生まれたのが今から二千数百年前だと言う。
そんな気の遠くなるような歳月をかけて発展してきたのだから、スピリチュアルなんてふんわりした存在ではなく、立派な学問である。
立証されなかった理論が二千年も受け継がれるわけがない。
当たる当たらないという賭け事ではなく、統計学に近い存在だと思っている。

ただの好奇心だけで、私はこの春、占星術に入門した。
入門したての1年生。

この熱情は、どれくらい継続できるだろうか。
願わくば、一生モノの知識として占星術とともに人生を歩んでいきたい。

そんな占星術師1年生のずんもさん。
占星術師としての名前は「風香」。

これから多くの人のホロスコープを読み、鍛錬に励みたい所存である。
まずは無償で100人のホロスコープを読みたいと思っているので、
心の広い人がいらっしゃれば是非、私に貴方の星を読ませて下さい。
ご連絡をお待ちしております。