今日は前回の最後に『日本の宗教は?』というところの余韻の部分から文章を打っていこうと思います![]()
日本には多宗教(キリスト教や仏教など)が入り混じっており、例えば12月にはイエスキリストの誕生とされるChristmasをし、誰かが亡くなれば南無南無と正座とともに長いお経を聞き線香をあげる。ご飯を食べるときはいただきます。だし、ご馳走様もそうだ
また付随して統一家庭連合(統一教会)や幸福の科学等々のグレーな宗教も名を変えヒソヒソと心の隙間を貪ろうとしていると感じるUndergroundな世界である
さらに近年では街に繰り出したり、学校、職場でも日本国外の人、またはハーフやクォーターの方をザラに見掛ける時代であり、これをシンプルに表現するならば『多宗教で多人種』なのが今の日本の現状であるということ
ここで疑問がでてくる
わたしのブログ
『百閒は一見にも満たない』で少し話に出したイスラエル侵攻によるガザ地区の話
この戦争は『なぜ起きているのか?』を一度は考えてみたことはあるだろうか
検索をかければある程度の情報は拾えるが、単純にシンプルに根源をたどるならば『人種と宗教』であることに他ならない、もっと言うならば国単位での『軍事的なビジネス』とも言えるだろうが、そこは割愛させていただく
何者かを神と崇め その為に戦争を行うのはあまりにも滑稽であると私は思う、『文句あるもの同士が己の肉体だけで"知性を持たない"獣ようにやりあえよ』と周りを巻き込むんじゃないと切に願うのである
さて疑問の中身に移るが、多宗教で多人種である日本が『紛争』というものが起きないのはなぜなのだろうか?という点である
もちろん現政府自民党に対し当たり前にデモ等々は多少なりとも起きてはいるし、クルド人と呼ばれるもののいざこざや、国内に入り込んだ国外の犯罪行為は多少なりともニュースにはなるのだが、表立って紛争と呼べるものではない。言うならば喧嘩レベルなのである。
この答えが今回のテーマである
日本の宗教は?になってくる。
日本の国柄の空気や人柄等々と謳う方々もいるが、そんなふわっとした理由で一億人を超える日本人を括るのはさすがに無理があると考える。
日本人の信じる神と呼ばれる存在もといルーツはなにか?というところである
思ったよりキリスト教って少ないなって思った印象が一つと。わたしは神道である。とは思っては無かったし、むしろ神道?仏教じゃないの?ってなにってなったが、その中身を聞いていくと腑に落ち理解できた事があったので、きっとわたしはそこではじめて神道なんだなと理解できたのである
神道(しんとう)
神道、日本の宗教。惟神道ともいう。開祖や教祖・教典を持たず、森羅万象あらゆるものに神が宿るという思想に基づく。神話、八百万の神、自然や自然現象など、アニミズム的、祖霊崇拝的な民族宗教である。 神と自然は一体と認識され、神と人間を結ぶ具体的作法が祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされた。 ウィキペディアより
わたしのブログ『生きるのか?』からコピペ
かの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチ、は神についてこう記している。
わたしは神は存在すると考える
が
それは人間的なものや、動物、物ではない
そのような神は単なる虚像ではないか
この一文とまったく同じだと感じたのである
感覚的に分かりやすい例をあげるのであれば、映画監督の新海誠が世に生み出した『君の名は。』『天気の子』を観てほしい。
新海誠氏が作り上げた世界観は日本のルーツにも繋がるものである点である。
神社や巫女、これが神道とはなにかを示しているきっかけなのではないか
むしろ仏教と神道は感覚的に似てると思っていたけれどそれは語弊だったのだと気がついたのである。
宮崎駿『トトロ』より
宮崎駿『もののけ姫』より
新海誠『君の名は。』より
新海誠『天気の子』より
日本のルーツは神道で、紛争が起きないのは
わたしの拙い表現で打つと
神道という受け皿のもと、日本人は臨機応変に対応し、どんな善悪までも吸収してきた
それが正解かは分からないが、そもそも正解なんて存在するのか?っていう森羅万象の目線で物事を捉え、取り巻く人を大切に想えばそれだけでいいのではないか。
ここでひとつ脳裏に浮かんだ画像をスクショして今回のテーマについて終結しようと思う






