夫がアメリカから帰ってきて初めての安息日がもうすぐ始まる。

 

夫はアメリカへ行く時に、近所のユダヤ人から100円とか1000円札を何枚か預かり、アメリカのシナゴーグに寄付した。

そしてアメリカから帰って来る時に向こうのユダヤ人から1ドル札を数枚預かってきた。日本のシナゴーグに寄付してね、と。

あなたには寄付するという大きな役割があるのだから必ず無事、現地につかなくてはいけないよ、という渡航中の安全を願う願掛けみたいなものです。

無事に預かったお金を寄付できることになってよかった。

 

 

日本ではほぼ受け入れられないけれど、土葬文化の人たちにとっては体を燃やさずに土に還す、ということはかなり大切なものであります。ホロコースト時代、ユダヤ人がガス室で燃やされるというのはなんと屈辱的だったろうと思う。

 

さて、アメリカにいる夫のお母さんは、先立たれたご主人が火葬されたので、自分の骨を一緒に混ぜて散骨してほしい、と遺言書を残していた。夫は説得のためにアメリカへ行ったくらいでした。結局土葬に同意してくれたのでめでたしめでたし、なのですが。

 

その葬儀屋さんからよくメールが来る。

 

今日来たのは

50歳で亡くなったこの方、子供たちが葬儀代を払えないので

火葬することになっていた。しかしユダヤ人が火葬されるのをできるだけ避けたい葬儀屋さん。火葬されるくらいなら葬儀費用は葬儀屋さんが立て替えるという。なので誰か協力してくれる人はいないか、と。

2通目は15歳の男の子の葬儀代の協力だった。

 

ユダヤ関連のニュースレターや広告は、とても寄付のお願いが多い。お願いというか、寄付はできることが徳というかすべきこと、ミツバ(מִצְוָה/Mitzvah)なのでお知らせというべきか。

 

ユダヤのコミュニティがあるところでは、1日3回のお祈りのミンヤン(מִנְיָן/Minyan)のために、シナゴーグに成人男性が集まる。(日本では10人集まらないので来る人はいないけど)そこでは通常、ツェダカ(צְדָקָה/tzedakah)という寄付を集める人たちがたくさん回ってくる。

寄付はできることがありがたい。

 

寄付しないといけない、と決まっていても家計の10%以上はしてはいけない(10%が望ましい。それでも20%を超えないように。20%超える場合は家計に影響を与えない範囲でOK。2023.02.17訂正)、という決まりがあるので、寄付によって家庭が困窮するというニュースは聞いたことがない。家計を圧迫するほどの寄付はしてはいけない、という決まりも大昔からあったというのは面白い。(もしかしたら数百年前かもしれない。ちょっと調べる時間がないのであやふや)

 

人は誰でも人生で失敗や間違いは当たり前で、お金に困る時も必ずあるものだ。大金持ちになるなら当たり前に大貧乏人の時もあるはず。でもやってみたらいいんじゃない、と。

私なら、貸したお金が返ってこないんじゃないかと、お金を貸すことを心配する。でもユダヤではお金が返ってこないことよりもチャレンジしないことの方を心配する。ユダヤ人同士、お金を貸すときは利子をとらないんだから、やらなくてどうやって生きてくの、と。そういうスタンスで、理にかなっていると思う。自分の世代のことだけを考えて生きていない感じ。

 

さて、שבת שלום

良い週末を。