夫と私は16歳差の歳の差婚と言われる。

私は初婚で夫は2回目の結婚。

先日のユダヤ婚も入れると夫は3回も!

羨ましい。(???)

 

そんな夫は60歳の還暦ボーイ。

 

私たち家族は

毎週金曜日の夜から土曜日の夜まで

25時間以上をずっと

シナゴーグに居座っています。

イスラム教の集会所をモスクというように、

ユダヤ教の集会所はシナゴーグと言います。

シュールとかコングリゲーションとか

意味合いごとに使い分ける必要があるけど

統一してシナゴーグと言うことにしています。

 

日本にいるユダヤ人は皆、

ユダヤ人家族から離れて住んでいるため

安息日を安息日らしく過ごすことが

非常に困難であるという理由で

シナゴーグがまさに集会所で

安息日をずっと一緒に過ごす。

 

ちなみにほぼ毎週

警察官グループが見回りに来てくださいます。

 

安息日に何してるかというと

喋ってお祈りして、

喋りながらご飯食べて

お菓子食べてまた喋って、

暇すぎて無理やりまた喋って、

無駄に歩いてみたり、本読んでみたり

基本的に暇で何もしてない。

 

そんな安息日のために私は

日頃の質問をため置いている。

ラバイとラバイ夫人に質問するのです。

シナゴーグにはユダヤ教の法学者である

ラバイ、ラビ、レビ、と呼ばれる男性がいます。

これは単に英語やヘブライ語やイエディッシュ語

とかの違いです。

私は夫がアメリカ人アシュケナージなので

英語的にラバイと言っています。

 

このコミュニティのラバイ夫妻は

30代半ばくらいで非常に若い。

でもいつも気づけば人生相談をしている。

 

毎週相談して、

毎週一つ以上納得する答えをもらって帰る。

もちろん世俗的な生活を送ってきた私たちには

宗教的な生活を送ってきた先輩の話は

いつも新鮮で新たな気づきがある。

でもそれ以上にもっと

ハートに刺さる言葉が返ってくるのです。

 

ずっと何故かしらとおもってた。

自分たちよりもだいぶ若いのに。

食べてはいけない

行ってはいけない

見てはいけない

言ってはいけない

してはいけないことだらけなのに。

 

私たちの方が世の中のこと知ってるはずなのに

という思い。

 

どんなにエビやカニやウニが美味しいかとか。

(これはいつも食べられなくて可哀想、

とみんなに言われるから。)

でも私にとっては過去のボーイフレンドと同じ。

良い思い出だけあって

もう会うことはない。

 

制限のある生活というのは

生きていく上で大事なことに集中する

ということ。

今あるもの、常に「今の最善」に集中。

その削ぎ落とされている生活の方が

よりクリアに見えるのは明らかなのでしょう。

 

私はかつてミニマリストだった。

私物がなさすぎて掃除するところもなくて

毎週カーテンを無理やり洗濯してたくらい。

 

若干潔癖だった私が、

収集癖のある夫と結婚したおかげで

家はぐちゃぐちゃ子供もぐちゃぐちゃ。

その過程であたまのなかもぐっちゃぐちゃ。

今、脳みそのコアはどこにあるのか探してる。

頭の断捨離、思考のミニマライズ。

 

当面、行くべきところはフロリダだ。