ユダヤのお葬式に参加
土曜日の朝シナゴーグへ歩いていくと、坂の最後で毎週会うイツハクという男性がいた。今日もいつものように「シャバットシャローム」と声かけするつもりでいたら、会わなかった。そうだった、彼は亡くなったんだった。今週彼のお葬式にも参加したのに、こういう日常でああ、あの人はいないんだ、ということに気づく。今回初めてユダヤ人墓地に行った。ユダヤでは亡くなったらすぐに土葬する。ちょっと前に、イスラエル人観光客が京都を旅行中に亡くなったとラビに連絡があった。すったもんだして結局イスラエルへご遺体を空輸した。地元のラビは外国にいたので東京のラビが神戸に飛んできた。私の夫はイツハクと親しかったけれど遠くにいたので参加できなかった。その代わりも兼ねて私が参加しようと思ったけれどそれはとても日本人的発想だな、とも思った。ユダヤはなんでもかんでもミンヤン(Minyani,מניו)とよばれる「成人男性10人」集まることが重要。葬式にはイツハクと全く面識のない通りすがりのユダヤ人も参加した。ミンヤンに参加するというのはとてもとても大きなミツバ(Mitzvah,מצווה)なのです。外国で出会った、同じ街出身の人、みたいな感じのもっと濃い同胞意識がある。「同席してあげた」というよりも「同席させてもらった」感。それはそうと、土葬というのは思ったよりも生々しかった。すごくダイレクトに人間を土に還す作業だと思った。思ったよりも深く掘るんだなとか、ぼんやり思いながら見ていた。男性は常日頃、帽子のキッパと、フリフリのついたツィツィというシャツを着用する。それと、タリスというお祈り用のカバーが必需品。ご遺体には生前彼が使っていたタリスを被せる。ツィツィのフリンジをカットして被せるらしい。それは、もうお祈りのお役御免だよ、というサイン。なんでもシンボルが必要なのだ。クレーンで移動男性全員で土をかける。墓は一年後に建てる。隣にはムスリム墓地があり、周りはクリスチャン墓地。これはユダヤ人墓地。ユダヤ暦で生きていた期間を書いてあったり石がたくさん積まれている墓石があったり(訪ねてきたよ、というお知らせ)子供の墓石があったり(通常木を植える?だったか切り株を置くだったか???)とても綺麗で整然とした墓地だった。全員でテヒリム(Tehillim.תהלים詩篇)の決まった箇所を読む。子供たちにはなんて言っていいかわからなかった。夫はまだ早いと思ったのか「ハシェムに会いに行った」と伝えていた。そしたら「そうなんだ、よかったね」と言った。私は次の日、「亡くなった、体が死んだ、もう会えないの」と言うと「えーーーそうだったの!!!」とびっくりしていた。昨日は8歳児に「死ぬって何?どこに行くの?どうなるの?」と質問攻めだった。こういう時になんて答えるかで人生観、宗教観、どう生きるかが変わるだろう。9歳の時、死の不思議に取り憑かれた時期があった。娘もそんな時期なのかな。イツハクさん、天才で突飛で優しくて議論好きで独自の理論で突き進んで生きていた。嵐を巻き起こしてそのまま逝ってしまった。ברוך דיין האמתそれにしても、香典とか服装とか考えず参加できる葬式は単純に気が楽だなあと思った。