ハッピーハヌカとハシディズム
昨日はユダヤの光の祭典、ハヌカ初日。思い立ってシナゴーグへ行ってみた。片道5時間の日帰りコース。ハヌカは運転したり電気も触れるからお気楽。8日間続く光(油)の祭典なので、油物を食べます。久しぶりにみんなと会えて気分も晴れ晴れ。今年もキャンドルを灯せてご機嫌。シナゴーグには警察のセキュリティの方がきます。昨日はいつもより人数が多いと思っていたらオーストラリアでテロがあったのもあるし、何かあってからでは遅いので、と。オーストラリアは日本ともタイムゾーンが近く必然的にオンライン勉強会や交流が多くなる。日頃その仲間から現地の状況を聞いていると穏やかではない印象を受けざるを得なかった。その後、夫が「悪いニュースがある」と近づいてきた。「ラバイシュランガーが亡くなった」と。ラバイシュランガーには、私たちの結婚式で歌を歌っていただきました。(1分25秒〜)オーストラリア、シドニーボンダイビーチ、ハヌカ、銃乱射、テロ、これだけの単語を聞いても知り合いが犠牲者になるなんて一ミリも想像できないものなのか。今までは反ユダヤを茶化したり直接関わらないでおきたいと思ってきたことで無視してきた小さな出来事の数々、そういうのがどんどん身近になってしまうのが正直微妙。何年前のシムハストーラーの日にはこの方が、今年のハヌカにはこの方が、と積み重なっていく。もちろん悲劇だけではなく。でもこういうのを重ねてきてこの人たちの強さとか考え方とか思想を理解しつつあるのを実感している。以下、少しマニアックなのですが忘れたくないので書いてみようと思います。私が改宗で頼っていたハバッドというグループは、「ハシディズム」という思想をもって生きています。簡単に言うと「喜びに焦点を当てる」のが指針。ホロコーストであってもテロであってもその人の死は元々神に決められていたもの。だから悲しみはあっても悲しみ続けてはいけない。口では簡単に言えるので、言葉が軽すぎて信じないと思うのですが本当にそれをみんなが実践しているのです。今回も、「悲しんでたらいけないぜベイベー」と。どうやってるのかわからない。数年前のことになりますが、地元のラバイもご自身のお父様が亡くなった時安息日が始まる直前だったけれど、安息日は喜びに満ちたものでなくてはならないという教えを実直に守るだけ。いつもと変わらず素晴らしい安息日となりました。ユダヤでは人が亡くなると、次の日にはすぐに土葬です。悲しんでる暇とかもないんじゃないかなと思うけど、1週間は喪に服し、徹底的に悲しみます。そしてそのあとは必要以上に悲しんではいけない。そういう決まりになっています。シンプル。実に淡々としているように見えてしまいます。日本的な考えとは正反対のように思えます。死が身近でないとこういう考えにはならないだろうなと。イスラエル人が戦争中でもしっかり楽しんでいたのはこの考えがあったにほかならないだろうし、ユダヤ以外でもそれが理解できる民族は、世界的に見ると、意外と多いのかもしれないなとも思うのです。若い頃に読んだ小説で救われた言葉に「いちばんの復讐は、相手よりも多く笑っていること」というのがありました。復讐というだけでなく、自分の悲しみでも相手の悲しみでも本当の笑顔を見せることでしか救えないものがあると思います。今日はラバイシュランガーの美しい記憶とともにご冥福を祈り、ご家族とコミュニティに心からの哀悼の意を表します。必要な時に支えになれるだけの強さを持って日々過ごそうと思いました。