多くは語れませんが。

 

会社の同期が失敗を重ね、社内の方々に迷惑をかけました。

それも仕事というよりモラルの問題で。

 

そして、他の同期の前で反省の色が見えない態度を取りました。

 

 

さて、日頃から会社で「同期は助け合え」と言われている私達。

助け合うだけの土壌も出来ている状態で、同期としては今回のこの件にどう対処するのが正しいのでしょうか。

 

 

実際、この件の話に触れた同期の中では、問題を重ねた同期に対し厳しい忠告を直接投げかける人が多かったようです。

 

もちろんこれは感情任せの怒りではなく、「人の迷惑を考えて動け」だとか、この先の本人が心配だからという前提に立って言われたものばかりでした。

 

しかし本人はそういった言葉を掛けた人達のLINEをブロックしました。

同期全員がグループLINEはじめLINEで頻繁に連絡を取り合っている環境下において、です。

 

それを受けて、忠告をした側のメンバーが「言い過ぎた」などと反省の言葉を口にすることとなりました。

 

 

自分はここまでの話を聞いて、同期みんなが優しすぎるように感じています。

 

 

まず、ちゃんと忠告するということについて。

 

自分だったら、一旦忠告はしますが、それ以上は踏み込みません。

社会人である以上は、忠告を忠告と気づかない人にそれ以上言いません。

正直、わからない人はそのまま社会で評価されずに消えていくだけだからと思ってしまいます。

 

 

そして「言い過ぎた」という反省について。

 

表向きの他の同期に向けた反省に過ぎないのかもしれないとしても、そういう反省はいらないなと思ってしまいます。

結局このレベルのことでLINEブロックする人は、人から忠告をもらえることのありがたさを知りもしない人なのだなとしか自分には思えません。

 

 

つまるところ、人からの忠告のありがたさ、自分のために怒ってもらえているというありがたさに思い至らない神経に、自分はとても腹が立ってしまうのだと思います。

 

その上、学生気分が抜けないままと言わんばかりに責任転嫁をするようなへらへらとした態度を取られたら、自分はもう、諦めて黙ろうと思わざるを得なくなります。

 

 

それでも同期として、問題の同期に懸命に声を掛ける面々を見ていると、自分の思考は冷たすぎるのか?とも感じています。

 

 

自分の内心にも、他の同期に同じく、機会さえあれば本人に言いたいことはあります。

同期として、仲間として、本人の今後のために言いたいことはあるんです。

 

でも、聞き入れないとわかってもなお言い続けるということは出来ないと思います。

 

それは、自分達の関係はプライベートや学校にあるものではなく、仕事にあるものだからです。

 

仕事仲間としてやっていくためには助け合うのは前提ですが、助け合うために聴く耳を持つのも前提だと思います。

 

つまり、裏を返してきつい言い方をすると、聴く耳を持たない人間は仕事仲間と言えないということになります。

 

助け合う対象と呼べないとも言えてしまいましょうか。

 

 

黙るべきか、怒るべきか

 

怒るという言い方は言われる側の立場に立っての言い方になりますが……

 

どちらを取るかは人それぞれだとしても、言えることは、黙っている方が冷たく、怒る方が優しいということではないでしょうか。

 

 

しかし、言われている本人は、怒ってくる人の方が嫌になるんでしょうね。

 

いつになったら言われたことの大切さ、言ってもらえたことの大切さに気づくのでしょうか。