最近、やっとわかったことがあるので書いてみます。禁断の「プロアマ論争」に切り込むかのように見えるかもしれませんが、そうではありません。プロアマ差別について、被差別者として、わたしが感じたことです。

 

プロアマの定義は人それぞれです。なので、どうか言いっぱなしにさせてください。不愉快になりそうな予感のする方は、ここまででお願いします🙇‍♀️

 

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わたしは自分をプロとは思っていません。当然です。でも、純粋なアマチュアとも思っていません。プロの人と一緒にやることもあるし、プロとしての現場もあるからです。

 

また、趣味というには異常なぐらい、毎日なにかしら本番に向けての準備に追われています。日々、家事も仕事だし、音楽も仕事、という感覚です。

 

世間の多くは、わたしを「アマチュアのうまい人」という扱いをします。内心、わたしが目指してるのは「ハイエンドのアマチュア」なので、いちばん合ってるかもしれません。

 

てゆーか、プロでもアマでもどっちでもいいじゃん。真ん中ぐらいの人も一定数いるんだよ!!😝

 

そうなんです、わかったんです。問題は「プロ」と「アマ」きっちり分けたがる人がいるということなんだって。はっきり言って差別主義者です。そういう人種に「アマ」認定されてしまった場合、とてもひどい扱いを受けます。「だってアマチュアですよね?」ってことで、ノーギャラでオファーしてくるとか、そういうことです。

 

プロアマ差別主義者は逆に「プロ」と認定した人に対しては過剰に気を遣い、持ち上げます。それが誰がどう見てもプロですよね、って人の場合は、まあそういうこともあるかと思うのですが、は?なんでこの人がプロでわたしがアマなの??ってことも多々あるのです。

 

でも、そこで悔しがるのは、また違うんですよね。わたしにはわたしの理想があり、そこに近づくために日々コツコツ練習している。べつにプロ認定されるために頑張ってるのではありません。もしそこが目標なら、「プロアコーディオニストずんずん」ってでっかい看板を掲げちゃえばいいだけの話。差別主義者は、そういうのにコロッと騙されます。

 

音楽の内容で判断してよ、という話でもありません。音楽ってうまいへただけじゃない魅力もあるし、基準も人ぞれぞれ。じゃなくて、プロ/アマという二つにきっちり分類することをやめてほしいのです。

 

いや、多少は仕方ない思う。たとえば予算が少ないイベントの場合、ほんとはcobaさん呼びたいけどずんずんにしとくか、みたいなことは当然あるでしょう。でも最低限、「ずんずんだからノーギャラでいい」ってのは無しですよ。アマチュアだから時間おしちゃって半分になっちゃったけどいいよね、じゃないんだよ💢

 

そこには、

 

だって出たいんでしょ?

 

ていう前提があるんですね。差別主義者は、アマチュアは無料でも出たいはずだって信じてる。

 

わたしは、そこまでして出たいものなんて、いっこもありません。なので、出してあげるんだから我慢してよ的な態度には「は?」しかありません。差別主義者に「プロ」認定されなくても全然いいんだけど、ただ、「アマ」認定されることによって虐げられるのが、理不尽でムカつきます(だんだん言葉を選ばなくなってきた😅)

 

プロだろうとアマだろうと、そのイベントにフィットしていればちゃんとやれます。わたしはcobaさんみたいな大舞台には立てないし立ちたくもないけど、蚤の市でミュゼット弾くことはできます。むしろcobaさんより自分のほうが似合うと思います。

 

そして、わたしは重い楽器を現場まで運びます。その運搬だけでも、バイトだったらふつうに何千円かいただけます。

 

いや、違う、お金の話じゃなくて、えっと、つまり、なんでわたしがアマチュアだからって「だって出たいんでしょ?」って決めつけられて、ひどい仕打ちを受けなきゃならないのか。プロにはヘコヘコするくせに‥😡

 

以上、プロアマ論争じゃなくて、プロアマ差別主義者について書きました。そういう人と関わらずに音楽活動していければと思っています。

 

愚痴読まされちゃったみなさん、ごめんなさい。ありがとうございました🙏