新事実が次々と明らかになるので年表を継ぎ足さないといけない。




1990年1月  ちゃちゃ、短大入学。


事実かどうか明らかでないが、ちゃちゃはまさかの3歳年下とつきあいだしたか。



1991年平成3年バブルマンション新築完工




バブル期の中で、もっとも建設費用が高くもっとも銀行金利が高い時に高値つかみをする。


推定借り入れ13億~15億円


これを見たバブル女は完全に有頂天になる。目標の玉の輿と勘違いすることに。




1992年 ちゃちゃ短大を卒業



1997年平成9年  バブルマンション追加融資を申し込む(推定)


根抵当権15億円に増加



1999年 ちゃちゃ、まだ独身という情報



この年を最後にちゃちゃとの接触は途絶える


私はちゃちゃの写真とラブレターをすべて捨てて、ダイビングを始めた





2004年平成16年バブルマンション行政に差し押さえを食らう


同年解除。どこから借金したのか不明



ちゃちゃがいつ結婚したのか不明。そもそも誰と結婚したのかこの時点で不明


ただし、2012現在7歳くらいの子供がいる。


逆算するとこの差し押さえを食らった時点で、なんの真実も明かされないまま結婚~子作り~子育てしていた可能性が浮上



2002年あたりの結婚とするとちゃちゃは30歳ということになるな。




2009年平成21年 私のブログが始まる




この年、バブルマンションの存在を初めて知る。


ちゃちゃがどこに嫁いだのか・誰と付き合ったのか・どういう願望を持っていたのか

とにかく、この年まで真実というものを一切知らなかった



真実を知った。ちゃちゃはおれを裏切ってこのバブルマンションの男と結婚した。



敗北感が充満したが、その時にバブルマンションが平成16年に一度差し押さえられている事実をつかんだ。


逆転のチャンス浮上。わずかな望みにかけるヤマトの精神で立ち上がる




さらにちゃちゃの父上の会社のホームページもこのころに把握した。




2009年リーマンショック。日本中がかつてない不況に陥る


バブルマンション、平成3年比で公示地価が60%下落・資産デフレ直撃


たしか7月。ちゃちゃに「渡辺美里フラワーベッド」のCDを送付する作戦を実行。



で、このころからこのマンションは住民の出入りが激しかった。

その分メンテナンス費用がかかる。



同年9月。私は社長に就任する。




2010年平成22年 近くにUR賃貸マンションがたつ。競争が激化

家賃の値下がりが始まる


もっとも高い価格帯15万円の部屋が二つとも空き部屋になる。

以後契約なし




2012年平成24年 ちゃちゃの父上のブログ発見・私がコメントを入れ始める 


2012・4月17日のコメントの一部「賃貸経営は今後なりたつでしょうか」

これも今にして思えばすごいタイミングだった。



4月20日  バブルマンション 銀行に差し押さえられる



4月27日~29日  ちゃちゃの夫 退職の九州旅行に行く


おそらく差し押さえられることを知ったうえで、退職を前々から予定していたと思われる。

もしくは自分の給料を差し押さえられたのだ。




       

5月から6月にかけて、バブルマンションのWEB広告が急に削除され始める



※差し押さえによって賃貸募集を制限されたため


6月、ちゃちゃの夫らしき人物をフェイスブックで捕捉


6/23   


ちゃちゃ夫婦がちゃちゃの実家に行っている。


このときに、私の存在が父上から情報としてもたらされたに違いない


ブログのコメントを見られるように、ブログをフェイスブックにアップしてしまう。これが裏目にでる。



 6/24~7/20の間に、ちゃちゃがフェイスブックに登録される。



これが夫や父上ともつながっていたために、ついに23年ぶりターゲット捕捉




つながったために本人確認ができてしまった。




7/9   バブルマンション、東京都からも差し押さえを食らう



7/13   ちゃちゃの夫、退職。おそらく給料の差し押さえを免れるためだ。



8/11  転職先・恵比寿に通勤を確認




そして!!!



2012・12月 バブルマンションの担保物件強制売却開始を確認!!!



その時歴史は動いた



人生はあきらめてはいけない。必ず逆転できる