私は学習欲が高い。
自分が知らないこと、見たこともないやり方、自分とは真逆の人の考え方
何でも興味がある。
「学びたい」「成長したい」「吸収したい」
今までも本、講座、セミナー、、、色んな学びにお金も投資してきた。
でも何かを学んでもそれが活かせない時
もしくは何か違うんだよな~と行動が止まってしまうことがある。
それは何が起こっているのか、考えてみた。
私は、純粋に学ぶことが好きであるという特性とともに
自分の力で発見したいという欲求がある。
「自分で見つけたい」「自分で体験したい」「自分で発掘したい」
人に教わりたくなんてないわい、という自分。
この私にとっては、体験し自分で試行錯誤すること自体が喜びである。
こうなったらいいんじゃないの、これやったら面白そう、もっと良くなりそう。
そんな風に自分の中に湧き上がる直感やインスピレーションに従っている時、楽しくて仕方ない。
逆に、人に教えてもらいたいモードの時、私の中では何が起こっているか。
今の自分では足りない、不十分。
自分以外の他の人が答えを持っている。
早く正解に辿りつきたい、失敗したくない。
そんな不安が渦巻いている。
本来はただ学ぶこと自体が喜びであって、
知識が増えること自体が楽しみであるはずなのに。
足りないモノを補おうとする「学び」は何も吸収できず、
学び終わってもまた次の「学び」が欲しくなる。
自分粋に学ぶことを楽しみとするのであれば、それが何の役に立たなかったとしても
私には喜びとなるのにね。
不安からの、足りないモードからの、誰かに教えて欲しい、正解を指し示して欲しいに至る。
自分の人生の中で上手くいったことや、成果が出たことを考えると
人に教わってやったことよりも、自分で失敗してチャレンジして
やり遂げたことの方が断然多い。
人に教えられた方法でやっても、自分が発見したことじゃないからどこかピンと来なかったり、自分の中に何も残らないことが多い。
自分で時間をかけてやったことであれば、点と点が線となっているから、記憶に残る。
あ~なんだ、こうすればよかったのね!って30回やって気付く、といった感じ。
人の言うことなんて聞いてられない、勝手にやらせてくれモードの時は、不安はない。
結果が出るかどうかも気にしていない。
人に教えられたい私と教えられたくない私との葛藤をどうするか。
行動する時は、自分でやりたいモードを発動する。
沢山失敗して、沢山学ぶ。
学ぶことは自分自身を喜ばせる為にする。
不安を打ち消す為や物事を上手くいかせる為に、学ぶことはしないようにする。
これを意識すれば、私はこれからも沢山の喜びを感じられる。
誰かの正解ではなく自分の答えを見つけたい方専属ライフコーチ
むとうあきこ
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