人といるとどうしても気を遣って終わった後にどっと疲れる。


人の辛い話を一生懸命聞いていたらどんどん気分が落ち込む。

そんなことは日常茶飯事。

だから、誘われるのも頼られるのも嬉しいのに定期的に引きこもりたくなる。

さらには、

目の前の相手が大変な想いを抱えているから、私は楽しんではいけない。

相手の方が大変なんだから、こんなことで疲れたなんて言ってちゃダメ。

目の前の相手を比較対象として自分をぞんざいな扱いをすることもよくやっていた。


今は相手に気を配ることはやるけれども、それはやりたいからやっているという認識になり、
誰かに強要されてるわけじゃないんだから、やりたくなければやらなくていいんだと分かるようになった。

苦しいけれど、人に対して気を遣うことをやっていたのは
自分がいい人でいたいからやるという選択をしてきたんだと自覚するようになった。

今は自分が心からやりたい時と思える時ややりたいと思える人には、心を配るようにようにしている。


人のしんどい話は、感情移入し過ぎない。

なんとかしなきゃ、良くしてあげたいという気持ちは持たないようになった。

その人を大変な人、困っている人、助けてあげなければいけない人、と見るのではなくて、

自分の力でその課題を乗り越える力がある人と見るように。

その課題を自分の力で乗り越えることで何か望んでいるものを得たいんだ。

今は息抜きに愚痴を言っているだけ

だから、そうなんだねと程々に聞くようになった。


相手が大変なことと私がどんな過ごし方をするのかは別の話。

むしろ、相手が元気がないからこそ、そこに引きずられずにいつもの自分を保つのことが大事。

一緒に自分も落ちていかない。

自分も相手を比較して、あちらの方が大変だしというのはこれも別の話。

今の状況に対して、自分が辛い悲しいしんどいと思う正直な気持ちをジャッジして無かったことにしない。

悲しいのは悲しい
しんどいのはしんどい

どう感じるのかは自分の自由
自分の範疇

それを誰かにぶつける必要はなくて、ただ自分が一番に分かってあげればいい。

私が出来ていなかったのは、
相手との境界線を引くこと。

相手と自分との境界線が曖昧だと、エネルギーを吸い取られる、もしくは一緒に消耗する。

相手がどんな感情を待つのも自由だし、自分がどんな感情を持つのも自由だ。

相手の為に自分に制限をかける必要なんてない。

相手を尊重することと、自分が自分を保つことは別の話。

自ら自己犠牲をする必要なんてない。

相手のことは、相手の世界の話
私のことは、私の世界の話

それをごっちゃにしない。


それができるようになってから、だいぶ楽に過ごせるようになりました。

エネルギーを消耗しなくなりました。




 

 

 

 

 

誰かの正解ではなく自分の答えを見つけたい方専属ライフコーチ

むとうあきこ

 

 

 

 

 

 

 

【現在ご提供中のサービス】

自分の中の答えに導くコーチングセッション