心豊かな生き方研究所
ライフコーチ須川綾希子ですφ(゚▽゚*)
昨日はお花見瞑想会に参加しました。
自分の神話塾の冨永のむ子さん。
瞑想後の感じたことのシェアの時間。
他の方の言葉で私の心が反応したことをシェアしようと思います。
「桜は咲いているのは365日のうち、たったの10日。
咲いていない時の方が長い」
「根を生やして、葉が開いて、
花が散って、枯れて、また蕾を作る、
自然、自然のまま」
二つ目の言葉は、記憶が曖昧なのですが、、、。
咲いている時って豪華だし、皆が集まってもてはやされるけど、
でも実は1年でたったの10日。
1週間程度の時もある。
ぱ~っと花開くことに目を奪われるけど、実はそれ以外の時間の方が長い。
根を張って、水分を吸収して、葉を広げて太陽を浴びて、
葉を落として、冬を越えて、時間をかけて蕾を作って、、、、その先にある花開く時。
花開く時の裏には、それ以外の毎日の当たり前の生活(生きること)があって、
それで春に花が咲く。
その毎日の生活をおろそかにしてはいけない。
毎日の当たり前の生活を大事大事にして日々過ごしていくことで花が開く。
ついつい花が開くこと、結果が出ること、人に賞賛されることに気が取られがちだけど、
桜は花が咲くことが1番とは思ってないだろうな~、ということ。
花を咲かせることは自然の営みの一つであり、それが目的ではない。
自然の営みを続けて、桜として命を紡いでいくことがお役目。
結果
効果
賞賛
承認
などなど、人間だから欲しくなってしまうし、それはあって当たり前だけど、それを目指すのはやっぱ違うんだよね。
自分は自分として生きていれば、それが誰かの役に立っているし、誰かの力になっている。
そして二つ目
自然なこと
どうしても結果にこだわってしまうと、
より効率的なことは何か、結果が出やすいことは何か、効果が出る方法はなんなのか?策を練ろうとしてしまう。
でも、まだ木が成長してないのに自分の容量以上の結果を求めるのはどこか不自然。
もちろん一時的に結果を出すことはできるんだと思う。
がむしゃらにやって策を張り巡らせれば。
でも、それだと細く長くは続けられないし、心や身体にガタがくるんだと思う。
木が小さくて葉の大きさも小さい時は、それに見合ったモノがやってくる、
木が成長して幹も太くなって、受け取れる力が大きくなったら、それに見合ったモノがやって来る
それは自然なこと
当たり前なこと
自然の摂理
そして宇宙の摂理
毎日、電車に乗って、エレベーター使って、スマホを見て、パソコンを使って、ビルの中で過ごして、テレビ見て、、、
電気や機械に囲まれて生きていると、自然のことがわからなくなってしまうように思います。
私もそうでした。
機械は便利だし快適だし、なくてはならないものです。
でも私たちは人間で、動物です。
自然の生き物です。
いつの間にか、人間界の当たり前が当たり前と思いこんでしまうことが多いです。
数値的には
理論的には
科学的には
統計的には
こうなるはず。
こういう結果が予想される。
であるならば、自分はこうでなければならない。
その社会的根拠が自分を苦しめてしまうことが多い。
私たちは動物であり本来は自然な生き物。
だから、自然界の当たり前が自分の心の中に宿ったらそんなに自分を苦しめなくてもいいんじゃないでしょうか?
例えば、、、
木が小さいうちは花が小さいのは当たり前
木が根を生やしている時は何も変わっていないように見えるのは当たり前
花が咲く時期にしか花は咲かないのは当たり前
その木になる花しかつかないのは当たり前
栄養がなかったら枯れてしまうのは当たり前
毎年毎年少しずつしか成長しないのは当たり前
どう感じますか?
木が小さいのに大きな花を期待していませんか?
根を広げている時に、何も変わらないと焦っていませんか?
真冬なのに花を無理やり咲かせようとしていませんか?
桜なのに梅の花を咲かせようとしていませんか?
早く成長しないと苛立ちを感じていませんか?
あなたはどうですか?
自然のまま
ありのまま
心地良く、心豊かに、自分を満たして生きるには
自然の摂理をヒントにするといいのかもしれません。
心地良く自分らしく自然に生きるために私とのコーチングセッションを行ってみませんか?
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