久々にブログを書いてみる。
いつもの主戦場はツイッターだからなんか違和感なんだよな。まあそんなこと置いといて。

最近大人気(?)の倉本について語りたい。というか、横槍を入れたい。

倉本で特に顕著な言い争いになっているのは守備だと思う。ある人は劇狭な守備範囲だとのたうち回りながら息を吐くように倉本を変えろといい、またある人はフルイニング出続ければそりゃ疲れるさと擁護なのか批判なのか微妙なことを言ったり。それを倉本を愛してる人が必死で擁護したり。

こんな月並みな話を私があえてしたところでなんも面白くないと思うので、ちょっと視点を変えてみたい。

つまり、「なぜラミレスは倉本を使い続けるのか」の視点で見てみるということだ。いや、もうこの際もっと余計なことを省こうじゃないか。「なぜ、倉本を使うのか」はい。これだけ。なんともシンプル!

突然だけど、UZRという言葉がある。こんなブログを見に来ている諸兄ならまあもちろん聞き馴染みの言葉だろうが、一応ざっくり説明すると「そのポジションのリーグ平均に比べ守備でどれだけ失点を防いだか」ということになる。残念ながら私はもともとデータに弱いのでいつ頃から日本に普及したかは正確に言うことができないが、まあ今の野球ファンには欠かせないアイテムとして存在しているのもまた事実だろう。

倉本批判派の論調もここからきているのが大きい。つまり、数字として出てしまっているのだ。
俺が最も面白かったのは、社会人時代あれだけ守備がうまいと言われ、期待されて入ったドラフト3位ルーキーが、たった一つのデータによってここまで論破されるようになったことだ。ルーキー開幕スタメンで出てファインプレーをかました時、誰も倉本が守備が下手だとは思わなかっただろう。むしろ、期待したはずだ。ここ10年いなかった、守備のうまいショートがやっと来てくれた、と。

データは正確だと思う。ではなぜ、倉本は使われるのか。

ここからは私の完全な仮説だ。私はラミレス監督の脳みそを覗いたことがないし、あくまで私の考えをバカみたいに書くだけだからそこはお間違えなきよう。

では、まずは今は亡きスポルトの「1/100アンケート」を思い出して欲しい。あの時読者諸兄はどのような感想を持っただろうか?なるほど、確かに。と思った方もいただろう。ただ、思い出して欲しい。特に守備編。「は?なんで、そこは⚪︎⚪︎だろ!」とすかさずおんJに書き込んだ者はいなかっただろうか?もっと分かりやすいことを言おう。ゴールデングラブ賞。いつぞやのどこかしらにツッコミを入れたことはなかろうか。

私は不思議でたまらないのだ。UZRの点はそこまで高くないのに、なぜ選手、記者はうまいと感じるのか。
記者はまあ、長年の功績とか、イメージ論で入れる人もいるかもしれない。ただ、選手は違う。実際にその年、生で見て「あいつうめ〜」と感じた選手に入れるわけだから、少なくとも点数がそこまで上がらない人には入れないはず。それが覆される時もあった。

なぜか?
私はある仮説、いや、確信にたどり着いた。
「あれ、データと実際にみた選手の感じ方って必ずしもイコールじゃないんじゃね?」
よくよく考えてみたら当たり前なんだけど、確かにそうとしか思えない。こんな当たり前のこといって何になると思うかもしれないが、これが大事。

倉本の話に一旦戻したい。
ラミレスの就任の時の言葉を思い出して欲しい。
「野球はメンタル」
この言葉の重さを深く考えると、自ずと(今年のフルイニングは抜きにして)倉本が使われる理由が見えてくるきがする。

失点をしないための守備、とは2つの見方があって
①単純にうまく守備をして得点を防ぐ
②ピッチャーのメンタルをサポートする
この2つの視点があるのではないか。
UZRとは、あくまで①の評価を見だしているものであって、②を図ることはできない。
スポルトの話がこれだ。なぜ選手がうまいと思った選手が必ずしもUZRが高い選手ではないか。
得点を防いでいる選手≠味方の士気をあげる守備をしている選手。こう捉えることはできないか。

倉本は守備範囲は狭いかもしれない。ただ、ラミレス監督は常々口にしている。
「私が求めるショートは、きた球を正確に捌いてくれる選手」
ショートというのは花形な分、エラーが多いポジションでもあるのは言うまでもない。Eのランプが点灯した時、味方の士気はどうなるか。ピッチャーのメンタルはどうなるか。倉本はとってからの安定感は確かに高い。今年はエラーも多いが、そこには去年の信頼があるのだろう。

加えて、これはあくまで正確ではなく私の主観だが、倉本は非常に飛びつきが多い気がする。守備範囲が狭い分、当たり前といえば当たり前かもしれないが、それでアウトを取ってくれたらピッチャーはどう思うか?当たり前以外のアウトも取ってくれる。これは守備がうまい一つの要素になり得ないか。と思う。

つまり、データはデータとして、勝つためには重要だが、そこには「人の心」が備わっていない、いや、備えることができないというのが今回の私が言いたいことなのだ。野球はメンタルと言う以上、味方を安心させる守備を重視したい、ということかもしれない。

私の敬愛するF先生の「ドラえもん」も、同じだ。21世紀になっても未だに作れそうな気配がない一番の理由は「人の心を機械に備えることができない」からなのだ。
そういう意味で、倉本論争とドラえもんは共通している。

データに、人の心を入れようにも、悲しいかな人の感じ方はそれこそ人それぞれ。どうしようもないのが現実。

私はベイスターズが勝てばとにかくそれでいいので、倉本には頑張って欲しいと思う。なんて小学生並の感想を言って締めよう。