人生の迷いをクリアにし、
あなた本来のミッションを覚醒させる
ゲートキーパーの鼎ナオ(かなえなお)です。

過去の出来事と心の変化を
「自分探しの歩み」として表現しています。

 

高校は、家から10km離れた県立の世羅高校に、
自転車で毎日通いました。

駅伝に詳しい人は聴いたことがあるかもしれません。

 

当時、本当にごく普通のイメージの、

社会(歴史、地理)に詳しく、

大人しいアンガールズ田中君も居ました。

 

本当に普通だったので、どちらかというと普段目立たない感じでした。

 

ただ、いじめ等をみても、「おい、やめちゃれーや!」と、声をかけたり、

やさしく普通に正義感もあるよい人なイメージしかありません。

 

(まさかお笑い芸人になるとはあの時はみじんも思わなかった・・・。)

 

自分は普通科の女子の背の高い方から2番目、

田中君も普通科では男子の背が高い方から2番目だったので、

同じクラスにもなり、体育で何かとペアを組むことが多くありました。

 

 

私は普通科で、美術部と文芸部に同時に入り、

美術部ではがっつりと毎日デッサンを、

文芸部ではたまの参加でちょっとした漫画や文章を冊子にしていました。

(世羅高の駅伝の挿絵なども担当してました。)


変わらず、例のSちゃんとは家政科で、

普段は会えないので、放課後によく美術室に遊びに来ていました。

 

田中君は、T君という、絵の上手なすごく大人しい

美術部室によく居た仲良しの親友に会いによく来てました。

 

普段、友達が殆どいなかった私は、

当時熱をあげてた面白いキャラの美術の先生も居て、

放課後の美術室がまるで天国のようでした。

 

木炭で、石膏デッサンを描くとき、練り消しと、

微妙な消しニュアンスを出すため、

食パンを消しゴム代わりに使っていたのですが、

食欲旺盛な高校生ですから、オヤツ代わりによく食べていました。

 

 

いつもお気に入りのSING LIKE TALKINGを聴きながら、

ご機嫌に石膏像を描いていたのでした。


すると、たまに、掃除のおじさんがきて、

「うるさい!!」と、CDラジカセの電源を抜きにきていました。

 

今となってはいい思い出です。(笑)

 

次回からまた話はヤバくなりますのでお楽しみに・・・。

 

 

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