本店から宮崎事務所へ転勤となった。宮崎は入社して初めての転勤先鹿児島支店時代に出張や課内旅行で来て以来だった。住まいは借り上げマンションだった。管理人さんは品のある綺麗な方だった

お昼は近くのジョイフルで。支店では昼食が出るが事務所は少人数なので自分で調達しなければならず、事務所勤務したのが佐賀と宮崎事務所で九州だったので、近くにジョイフルがあったので日替わりランチをいただいていた😋

近くの温泉へは週1位で通っていた

魚好きなので海鮮丼を週1位で食べていたが、この店は閉店したらしい😋

半年に1度位の頻度で青島のホテルに泊まって温泉にも入っていた。1泊2食バイキング夜は飲み放題付きで9千円位で泊まれた♨️

 近くの海鮮料理店網元の伊勢海老の味噌汁が美味しかったのを覚えている


ここからはいよいよ本題に。定年が間近になり離婚の準備を、あとで揉めないように公正証書を作成することにした。
家庭裁判所で調停が3~4度、先方の代理人の弁護士と電話で話した。離婚することは決まっていたので、財産分与に関することを書面に落とす作業だ。公的年金は年金事務所に夫婦であった期間の年金を半分にする手続きを、会社の退職金や企業年金は私が受け取った分を半額送金することを書面に、 
この時元妻は、「夫が先に死んだあとも企業年金の遺族年金をもらいたい」と申し出があったが、「離婚するので離婚した後の法定相続人に支払われると」当然のことを言って却下した。私が死んだ後もまだ金をむしり取るつもりかとあきれた
調停の最後は元妻が宮崎に出て来て双方承諾のうえで公正証書を作成することになった。

元妻は調停委員に、私が「手を上げることがあった」と言っていたらしいが、「元妻が手を上げるのを振り払った」と言うのが真実
元妻の口癖は「みんな近所の人たちもそうよ」と自分の考えではなく「みんながそう言っている」と人の“せい”にしていた
そこには「貴女が 好きです」と告白された時の可愛さはみじんもなかった

義理の母からも嫌われていた。私は仲良くしていただこうと一人で妻の実家にもお邪魔したことがあったが、あとで聞いたところ「迷惑だった」と、その一言は強烈だった

私の 言い分ばかりなので、私にもいたらぬ所は多々あったと思うが、
元妻の家庭はお父さんが電電公社に勤める裕福なサラリーマンの家庭。私の家庭は両親とも働く木工所で家内企業、商売人の家庭。育った環境が違うと考え方も違ってくるものだと感じている

私にも理想の家庭があって…元妻にも理想の家庭があったろうに…

公正証書は福岡の公証役場に出向いて作ることとなった
近くの駅から役場の方に歩いていたら、目の前に元妻と弁護士が仲良く並んで歩いていた。私もそうだか、元妻は結婚したときのスリムな体型が何処に行ったのか、醜く太ってしまった。お互い摂生出来ていないのだ。よく考えたら義母も太っていた。だいたい体型は年をとったらお母さんに似てくるのかと改めて思った

公証役場で公正証書の作成が終わり、晴れて離婚が成立した

離婚後妻とは半年に1度「企業年金を送りました」「受け取りました」のメールだけ。子どもたちはたまに孫を見せてくれる。



これで離婚体験談を終わることとします。