こんにちは。ヒロの嫁ことスージーです。
ヒロのブログを覗きに来ていただいてありがとうございます
私の夫、ヒロは令和3年春に膵臓がん(肝臓に転移あり)を患って11ヶ月の闘病の末、令和4年4月に永眠いたしました。
今後は私、スージーがこのブログを引継ぎ、ヒロの最後の記録とこれからの生活を少しずつ綴っていけたらなと思っています。
今日は六七日です。
今週日曜日はいよいよ四十九日の法要をお寺様でする予定です。
もうヒロがいなくなって、そんなに日にちが経ってしまったんだとなんだか信じられない気持ちになります。
ここまで怒涛の日々が続きましたが、最近ようやく諸所手続きが落ち着いてきて、次は就職活動だなとかお部屋をきれいにしなきゃとか別のことが考えれるようになってきました。
そしてアメブロに私がはじめて記事をあげさせて頂いて丁度10日程経ちますが、本当に色々な気持ちが起こった数日でした。
まずは色々な方々が本当に素直な気持ちを綴られていて、またそれに対して多くの方が気持ちを共有し合い、繋がる…私自身、心から救われたり、元気をもらったり…とてもここは必要な場所だなと思いました。
そして、同じ膵癌の患者様もたくさんみえますが、治療法も普段の過ごし方も、みなさん三者三様で驚きました。(あたりまえなこと書いてすみません)
それは最期の様子もあたりまえですが皆さん色々で…
ヒロは…ちょっと苦しい時間が長かったのかな…と思いました
それもまたその人の人生。
ヒロは頑張った。それでも私達と一緒にいてくれたんだ。
ヒロ、ありがとう。
……………
3月9日、在宅療養に切り替わって2週間が過ぎたあたりからヒロの腹部がどんどん大きくなってきてるのがわかりました。
訪問医の先生から「肝転移部分が病気を察知して、病気に負けないように負けないようにと大きくなっているんだ。」と説明を受けました。エコーでみるとこんなとこまで肝臓が来てるのかというぐらい大きくなっていました。
腹部が大きくなり、肺を圧迫してヒロはベットで体勢を何度も変えていました。
そして圧迫が原因なのでしょうか3週間入ったあたりで、安定していた酸素濃度が突然90ぐらいになりました。(通常は98ぐらいでした)
ヒロ :「えっ!?ぼく、いつも通りですけど…測り直してください。」
看護師:測り直した上…「同じですね。先生に言って酸素の機械を入れることにしましょう。」
ということでその日の午後酸素の機械投入。酸素安定ひとまずほっとしました。
が、この頃から黄疸がみられるようになります。
看護師、訪問医からも病気が進んでいますと私だけに告げられました。
4月4日腹水を確認。抜くほどではないと言われる。
4月7日、お腹が妊婦のように大きくなっているけれど、この日まではいつも通りのヒロ。
毎週のようにヒロを心配してきてくれた同じ県に住む義兄とも普通に会話をしていました。
ただ、自分でも話をしている時に何を話してるのかわからなくなることが4月に入ってからは増えてきた感じでした。
それでもまだまだ会話は成立していました。
4月8日午前、初めてリハビリの先生に来てもらい軽く足を動かしたり運動をしてもらう。
ヒロ:「ちょっときつかったからもうやらない」と断言。
そしてその日の昼過ぎから軽眠に入る。4月に入ってから長く眠ることが多かったけど、明らかに寝ている時間が長くなる。
この時から起きるのはトイレの時だけ。
起きても言葉がでない。おかしい。
4月9日午前、殆ど寝ている。言葉は殆どでない。話しかけて意思の疎通がうまくできない。体もうまく動かない感じだったので看護師さんから「ヒロさん、トイレに行くのはもうやめましょう。危ないので。ベットでしてください。」と言われる。
でも、ここからトイレのすったもんだが始まる。
ヒロは用を足す時は絶対にトイレと決めているのかどんなに止めてもトイレに行こうとする。
その時だけはものすごい力で自分でトイレまで向かおうとする…が、うまく歩けない。わたし…必死でヒロを支えてトイレに連れて行く。そしてまるで血尿のような見たことのない濃い色の尿がでる。(肝臓の影響でそのような色になるそうです)
午後、完全に支えなしでは歩けなくなる。ずるずるトイレに連れて行く感じ。
「トイレはもうだめだよ。ベットでいいんだよ」といってもなかなか理解でいないのか渾身の力を振り絞って毎回立ち上がってしまう…
絶妙なタイミングで義兄、義姉が到着。看護師と4人でなんとかトイレに連れていく。
一回行くのに30分ぐらいかかる。トイレにうまく座るまで時間がかかるのです。
ベットの横に腰掛けるスタイルもよくしたがるヒロ。多分寝てるのが辛いからだと思うんですが一人で座ってられない状態。
誰かがそのまま前に倒れないように支えるか後ろで肩を持つかしないといけない状態。
夕方またトイレ。看護師がおらず、兄たちと3人でなんとかトイレに連れていく。
ちょっと限界を感じオムツを穿かせる。
夜中不安になりながら過ごすが、たくさん寝てくれる。
朝方、ヒロが立ち上がろうとする。「トイレはいけないよ。」と言うとソファーを指差したのでソファに行きたいんだと思って介助する…でもやっぱり行先はトイレ
兄たちは違う部屋で寝ていて呼べない状況…
ヒロと私、床に崩れ落ちる…
1人では無理があった…その後、どんなに頑張ってもヒロを立たすことができない…
一生懸命肩を貸そうとする私にヒロが手で『待って』のポーズ。
なんと自力で中腰まで体をあげる。
私、すかさず介助。
トイレは諦めベットに戻る。
ベットに寝ころばすまでにまたすごい時間を要す…
義兄、義姉が起きてきて落ち着いた頃…トイレ。
説得がきかず立ってしまうので今回も3人で頑張ってトイレに連れて行きましたが、どうにもトイレの入り口から向こうに入れず断念。(点滴の棒と紐をうまくよけて入れなくて)
数時間後、もう一人の義兄と義母が到着。
義姉の提案でみんなでヒロの足湯を手伝ってヒロ気分よく過ごす
とてもゆったりといい時間でした。
そして、ヒロ、再びトイレ。先ほど行けずに終わったこともあり、私と義姉が「オムツでいいんだよ。危ないよ。」と必死で説得。が、立ち上がってしまうヒロ…
義兄達:「連れて行ってあげようよ。」
また必死になってトイレに連れて行く。何とか成功
午後、先生の提案で尿道に管を入れることになる。
この後から尿意が感じずに済むようになったからかトイレには行こうとしませんでした。
訪問医の先生:「男性はね。トイレじゃないとってのは自然の心理だから。行きたかったんだね。」
この2日間は本当に兄、姉達にお世話になりました。
私だけじゃきっとうまく過ごせなかったと思う。
介護の大変さを本当に痛感しました。
そして、汗をかきながら何度も何度も助けてくれた兄、姉達に心から感謝です。
ヒロ、優しい兄弟がいて良かったね
病気がわかってからは本当に兄、姉のには頭が上がりません。
毎週のようにヒロに美味しいもの食べさせようと持ってきてくれる兄(次男)
年が明けてから、テレワークだからどこにいても大丈夫と言いながら2週間ほど兄(次男)の家に泊まりながら何度も家に会いにきてくれた関東圏に住む兄(長男)。(ヒロは甘えん坊の3男です)
ヒロのこといつもいつも心配してくれて本当にありがとうございました。
病気がわかってからぐっと近い存在になった。義兄、義姉。
ヒロがいなくなった今も私のことをとても心配してくれます。
四十九日の後は私と飲み!!を計画してくれています
私もこの1年でとても気が付いたら甘えれる存在になっていて。
本当にそれがめちゃくちゃ嬉しいです。
これからもどうぞよろしくお願いします。
今日はここまで…いつも長文読んで頂き皆さんありがとうございます。
ヒロより
来る時に向けて残された家族には遺産による資産運用で生き抜いて欲しい。そのための勉強を妻としています。
マクロ経済スライド導入で将来減るのが確実な年金に備えて投資等も行ってます。参考にして貰えると嬉しいです。
※3月にヒロの代わりに私スージーもこちらの個人ブログにデータをあげさせて頂いていますが、まだまだ投資には自信がありませんごめんねヒロ。もっと頑張らないとね。
トラリピで有名な鈴さんの設定で少額で運用しています。私の知識不足で情報提供ができておらずすみません…ヒロのように自信を持ってアップできるには時間がかかりそうです…トラリピでヒロのブログを見にきているみなさまごめんなさい。
でも、基本はヒロの過去ブログで何か皆さんの役にたてればとリンクは貼らせて頂きます。今の情勢に合ったやり方で考えて頂きご活用頂ければと思います。
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