キャスト王冠18月8日、8月9日

 

水縞尚:稲垣吾郎

りえ:門脇 麦

 

振付:平原慎太郎

脚本・演出 三島有紀子

 

「カラマツのように君を愛す

~小説「しあわせのパン」より」

 

僕は君を愛す…。愛す…。愛す…。

 

幼き日

ある時、出会った1冊の本

”月とマーニ”

 

りえ の心を捉えたその本こそ

彼女が生きる支えであり導き光

成長と共に鬱積する いきぐるしさ

そんな中でも

唯一つの道しるべだった

マーニ

 

そんなある日出会ったのが

水縞尚

彼は言った。

 

「”つきのうら”に行こう。」

 

導かれるように

りえと尚の暮らしは始まる。

 

水縞尚はこの不可思議な女性

りえに心惹かれていた。

 

どうにか彼女を

ここから連れ出してあげたい

そんな思いから声をかけた

 

「”つきのうら”に行こう。」

 

北海道・月浦

運命の場所に辿り着いた

ここでカフェ・マーニを開店

毎日好きなものに囲まれて

 

りえと尚

出会う人、町の風に吹かれながら

心を通わせ

いつしか歓びを分かち合い

育まれていく絆

 

僕の、私の

生きる意味

 

「見付けたよ…。

私のマーニ」

 

 

公演日は仕事だったので、配信で見ました。感想は「すべてが素敵だったー」という一言に尽きる。

 

朗読スタイルだけど

2人芝居のような感じ。

 

りえに潜む心の闇を垣間見て、そこからもう一つの視点が出現する。りえに心惹かれる水縞尚という男性。水縞の心情を通して語られていく 移り変わりは闇夜を照らす月光のように満ちたり欠けたりしながら時を重ね、次第に2人の心が通い合っていく様子が丹念に描かれていた。

 

舞台は主に水縞サイドからの視点で語られていくけど、見ていくうちに、同時にそこで共にいた りえ はどんなふうに思いながら過ごしていたんだろうと思った。

 

水縞を通して見えてくる りえ という人は どこか浮世離れしていて、何か りえ だけに抱えている”弧”があって、だから一緒にいるからこそ 時に傍にいる方まで より”弧”を強く実感させられるというか。なんとも捉えようもない だけど強烈に惹かれてやまない思いを抱えながら。

 

もしかしたら、水縞は自分自身を りえ の中に投影させて、生きにくかった人生から抜け出し、どうやって自分の生きる意味を見出していくのか、その答えを探し求めていたのかな。

 

水縞にとってのマーニが りえ で。水縞と一緒に生きていくなかで歓びを共有し、やがて りえ自身も 本当の幸せ=マーニに出会えたという。もしかしたら りえサイドは水縞との暮らしの中にとっくに幸せを見付けていたのかもしれないけど、水縞自身の成長がようやく りえ に追いついたのか本当のことは分からないようにも思えて。幾重にも想像が膨らむ。

 

美しい物語だった。

 

この作品を観ながら思っていたのは

”りえ”という女性は”稲垣吾郎さん”に似てるな~ということだった。吾郎さん自身、水縞を演じながら りえ という自分を見ているような錯覚に陥ったんじゃないかと?自覚はなくても感性の部分で響き合うものがあったんじゃないかな~と思えた。

とても自然にすっと世界に溶け込んでましたね。今まで見てきた作品の中で一番登場人物を通して、吾郎さんを感じられたし、また登場人物の思いが深く深く染みたような気がする。

 

好きなものに囲まれて穏やかに過ごしたい

ただただシンプルな暮らし、価値観

誰かに強要はしない、干渉もしない

だけど誰にも侵されなくない大切な世界

そこを揺さぶられると

たちまち扉を閉じてしまうような

 

発信されるニュアンスを受け取って、こうかもしれない、と感じ取るのは本当に心地よい境地だけど、人によっては捉えようもない人物のように目に映るかもしれないなんて思った。

 

配信映像を見ている時は、りえ=吾郎さんのように思っていたけど、声だけで物語を聞くと、水縞こそが吾郎さんのように思えてきて。ほんとに不思議な物語でした。

 

こんなふうに想像が膨らんでいくのは、吾郎さんが水縞で、門脇 麦さんが りえ そのものだったからだと思う。

 

素晴らしい作品に出会えて良かったですね。

 

自分の生きる場所・生きる意味

 

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やめよう。という言葉が

とても印象に残っています。

 

今はこんな時だから

いろんな捉え方をしてしまいますね。

 

心がチクチする

その在処を探りながら

本を閉じるように。

 

余韻に浸りました。

 

まだ気持ちがフワフワ

まとまってないけど

今はこんなふうに思う。