不登校やひきこもりの子どもはなぜお風呂に入らないのか?
息子たちが不登校だった時のお風呂の入り方
我が家の長男は小学6年の3月から3年
次男は小学4年の3月から6年 学校に行っていない
全く行っていないに近い
自宅にいる生活の特徴として長男は、お風呂に入っていた
次男は、全く入らなかった
一番入らない時期で、6カ月ほど入っていない
同じ不登校でも、
なぜこんなに違うのかがずっとわからなかった
だけどもしかして?
と思うことがあったので記録しておこうと思う
不登校だった息子たちの、高校生活のタイプ別で分けてみる
長男は高校3年間通ったが、
1年目は私がずっと送り迎えをしていた
精神的にしんどくなり休むひがたまにあった
(年間で4~5日くらい)
次男は高校は3年間、
皆勤賞をとっている
私が次男を学校まで送ったことは一度もない
不登校だった息子たちを、感覚のあるなしで分けてみる
何が言いたいのかというと、
私があれこれ手を出した長男は
かなりの状態で感覚を無くしていて
次男は、そんな長男を見ているので
自分の感覚を守っていたのではないかということ
実をいうと、私も風呂に入らなくなる時期がある(2日ほど)
外に働きに行っているので毎日お風呂に入らないというのは
社会人としてどうなのかという所なのだけれど、
入らないというより入れない
朝、ギリギリに慌ててシャワーを浴びて遅刻気味に出勤するパターンをしょっちゅうやっている
何故なのかがずっとわからなかったんだけども、
それは無意識に自分が感覚を取り戻すことから
逃げているのではないかと思うようになってきた
お風呂に入る人がみんな無感覚なのか?というと
そうではないのだけれど、
不登校やひきこもり、あるいは生きづらさを抱えている人にとって
【お風呂に入る】イコール
【本当の自分と向き合わないといけなくなる】
のではないか?
不登校だった息子たちのお風呂に入る時の感覚
長男は感覚を無くしていたか、
あるいはお風呂に入るたびに
自分と向き合うことから逃げて、
没頭や陶酔にうっとりと逃げていたのではないか?
次男は長男よりもまだ感覚があったために、
お風呂に入れば、
自然に本当の自分と向き合ってしまうことがわかっていて
それを避けるために
一切お風呂に入らなかったのではないか?
そんな気がしてきた
不登校だった息子たちの現在
長男は現在社会人として働いている
長男は、仕事に行く前に必ずお風呂に入る
仕事から帰って来たり、
休みの日は入ったり入らなかったり
次男も現在社会人として働いている
次男は、仕事から帰ってきたら必ずお風呂に入る
休みの日たまに入らない日もあるが、
酔っ払っていてもお風呂に入る
不登校やひきこもりの子や、生きづらさを抱えている人がお風呂にはいれないということは?
私は気持ちが緩んでいるから、あるいは緩めたいから
お風呂に入るんだろうと思っていた時もあった
おそらくそういう意味でお風呂に入る人もいるだろう
だけど、
不登校やひきこもっているといったような
自分を守っている状態と言えばいいのか、
生きづらさを抱えたような人にとって
お風呂に入らない訳は
学校に行けていない自分
引きこもっている自分
違和感を抱え、まわりにうまく馴染めず
生きづらいと感じている自分と向き合うのが嫌で
お風呂に入れないんじゃないのかという気がする
追記
この記事を読み直していて思い出したことがある
長男は、不登校だった中学生の頃から、高校に通うようになり専門学校に行ったのだけれど、高校、専門学校の頃、ほぼ毎日、夫と一緒に風呂に入っていた
私は、(いい歳をして気持ち悪い)と思いながらも余計な事を言って拗らせたらまた学校に行かなくなると、何も言わずにいた
その後、セッションの中で、長男は、夫や私を自分のゴタゴタに巻き込むことで、次男を孤立させようとしていたのではないかという考えが出てきていたけど、
もしかして長男は1人で入らなかったのではなく、
入れなかったのか?
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