アダルトチルドレンからの回復 -2ページ目

アダルトチルドレンからの回復

夫がうつ病になり、わが子が不登校になったことから、
自分の生きづらさが関係していることを知り、
回復に向けてやってきたこと
気づいたこと書いて行きます



 

 

  1.機能不全家庭で育った人は、脳内が忙しい

 

振り返りでの話です

 

機能不全家庭で育ったがゆえに

欠損している部分を補おうとして発達してしまった思考能力ともいいますか・・・

テンパってあれこれ気をまわし余裕がなく、

あとで自己反省会を行いクタクタになってしまうという話です

 

一対一での美容院で、ずーーーっと美容師さんに気を使いすぎてクタクタになったり、

ついついサービス精神で、あいてを持ち上げて見たり、

休憩時間、とくに話すこともないけれど沈黙がつづくと、気を使って話をもちかけたりなど

内容はそれぞれ

 

 

  2.私のエピソード

 

私のエピソードを言いますと、ママ友と食事に出かけたときの話

土鍋で二人分のご飯を炊いてくれるお店で、

私が先によそって、ママ友が次によそったのですが、

彼女が土鍋の蓋をするのを忘れたんですね

 

「蓋するの忘れてるよ」と、こちらが蓋をすればいいものを、

そうすると、ママ友が蓋をし忘れたと恥ずかしく思うかな?と考え、

(そうだ、私が早く一敗目のご飯を食べてしまって、

私が二敗目のご飯をよそったときにさりげなく蓋をすればいいんだ)と、

こんなめんどくさい気の使い方をするんです

 

(とにかく、濃いめのおかずでご飯をちゃっちゃとたべるか)と

訳の分からないことを考え始めるんです

 

ところが、私がごはんの一杯目を急いで食べている途中に、

ママ友が蓋してないことに気付き

「蓋、わすれてるからしめとくよ」と土鍋の蓋をしたんです

 

(え?わすれたのあなたよ?私じゃないよ?

そもそも、わたしはあなたに気を使って、

さも何ともなかったように2杯目をよそったあとに

蓋をしてあげようとしてたのに・・・)と、被害者意識までくっついてきます

 

こういった思考で食事をしていたら、味も何もあったもんじゃないですよね

 

ママ友が、「これ、美味しいねぇ」とか「どうやってつくってるんだろうね~」

「器きれいだねぇ」などという話も

耳には入るけれど、蓋がきになってしかたがない

 

蓋をし忘れて恥ずかしく思うかな?なんて考えて、

相手のために先にご飯を食べるなどと

そんなわけのわからない気の回し方を日常茶飯事やってるんです

 

それよりも、さっさとふたを閉めて、

美味しいご飯の話をママ友としたほうが全然お互い楽しいのに・・・です

 

 

 

  3.忙しい思考の中身

 

 

必要以上に

・相手が傷つくんじゃないか?

・変に思われるんじゃないか?

・怒ってるんじゃないか?

・嫌われるんじゃないか?

 

と、脳内は自分はどう思われているかの例を

あーでもない、こーでもないとあふれだしています

 

 

 

  4.話してルーツをたどる

 

 

めんどくさい思考をしていたとしても、自覚できるようになれば、

修正することもできるし、分かってもらえる人に話して、

あ~そうだね、気を使ってやってしまいがちだねと話せることで、

気持ちは軽くなるものです

 

なぜこうまでして気をまわすのか?を深く掘り下げて考え、

自分のルーツをたどることができれば、

今まで無駄に動いてしまっていたことも減っていくんです

 

私の場合ですと、ちゃんと蓋をしないと激怒される感覚です

その恐怖が染みついてしまってるんですね

 

 

 

  5.課題

 

自分が蓋を閉め忘れているわけじゃないのでほっとけばいいものを

自分が犠牲になってまで蓋をしようとする癖というのもあります

 

この自分を差し出す癖も考えていきたいものです

 

多分、キーワードは冷たい人間と思われたくないです



以下の動画は、機能不全家庭で育ったことで

思考が偏ってしまっている話です

何故私が、ママ友が蓋を閉め忘れたことを

ややこしく考えるのか?のルーツとも言えます



機能不全家庭で育った人って、どんなイメージ持っていますか?

機能不全家庭で育つと、
一般で育った人と共感したり共有するには異次元に近いくらいズレがあるんですよね

私の感覚だと、一般の人と関わるって
大惨事や戦争がおきてるところから
ポンと平和なところに移動するような感じ

機能不全家庭の中にはそれくらいの危機感や恐怖感があるんです

なので、いざあなたはもう機能不全家庭から抜けていいんだよと言われて出ようとしても

まるで刑務所から出たような
周りは全て自分を特殊な目で見てるような
いったい誰に頼っていいのか
誰を信じていいのか
常に自分には、なにか人と違う負のものを背負ってるような
そんな感覚がずーっと漂ってるんですね

それでも誰かを頼りたくて、
信じたくて
仲良くなりかけた人に
何度も何度もお試し行為をして
本当に信じて大丈夫なのか?と確認をして

なのに、少しでも不安な要素を見つけたら
ほーらごらん、やっぱり信じなくて良かったと

また、なんともない振りの仮面を被って、機能不全家庭の馴染みのある感覚に閉じこもって周りを拒絶してしまうんです


✿.•¨心Racu¨•.✿


現在私はカウンセラーとして
お子さんの不登校でお困りの方や、
生きづらさをかかえた方の心が楽になるお手伝いをしています

カウンセリングを希望される方は、
cocoracu2014@gmail.com 

までご連絡ください
お待ちしています🍀 ̖́-





長い間、ブログをかいてなかった (;'∀')

久しぶりのブログです

 

夫のうつと、子どもの不登校をきっかけにカウンセリングを受け始め、

現在ではカウンセリングをする側になりました

夫や子どもたちが変わっていく中で、私も随分と成長してこれたなと感じています

 

カウンセリングを受けるようになり、成育歴を振り返る日々でしたが、

家族に問題が起きるまで、自分の成育歴など特に真面目に考えたこともなく

正直、まわりのせいでこうなったんだと責任を誰かに擦り付けたい一心でした

 

成育歴を振り返ると、出てくるのが母親の存在

まさか母親が問題だっただなんて、思いもよらなかった

 

ところが私がカウンセリングを受けることで、

うつになった夫が元気になり、不登校だった子どもたちが動き始めるんですよ

 

認めたくないけど、自分が家族に影響を与えているんですよね


夫が元気になり、子どもたちが成人し、働くようになりましたが、

今もなおくすぶっている成育歴の影響はあります

 

いつになったら回復といえるの?

一生治らないの?

 

そんな途方に暮れる気持ちになったこともありましたが、

カウンセリングを受けはじめたころの自分からすれば今の状況は雲泥の差です

 

せっかくここまでこれたのだから、

ここまでのことや、これからのことを文章に残していこうと思い、

ひさしぶりにブログをかきました

 

 

とりあえず今日は慣らし運転からということで

 

 

心Racu

 

 

現在私はカウンセラーとして

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お待ちしています ^^