今回は幼少期から小学校低学年時期までを簡単に。

 

私生活や個人的な情報は極力触れずに当時どのようなものを見、感じたか、どのような時代だったかを記していきたいと思う。

 

とある田舎で生まれ育ち(今も在住)、物心ついたころにはその辺の普通の子供同様にテレビでアニメやヒーロー番組を見ていた。

 

当時、うちの方は民放が2局しかなく、今でいうフジ系列とTBS系列しかなかった。

※民放腸捻転と呼ばれたネットワーク制度導入前。

 

フジ系列の番組は普通にリアルタイムで放送はされていたものの、朝日系列、日テレ、テレ東の番組は2局に振り分けられ、半分以上が放送すらされていなかった時代。

※子供番組は平日夕方17:00台に再放送枠で放送。(仮面ライダーですらこの枠)

 

一番古い記憶では(それ以前はあいまい)日曜夜7時から放送されていたマジンガーZ。

 

 

姉の記憶によると今の住居の前に住んでいた家に引っ越して着た日が初回放送だったという。

この頃はフジテレビ系列の日曜夕方6時から、ガッチャマン、サザエさん、マジンガーZ、名作劇場(ハイジ等)と子供にとってのゴールデンタイムと化していたが、正直、当時はマジンガーZしか興味は無かった。※見てないとは言ってない。

とはいえ、幼少期は活発な子供だった為、暗くなるまで近所の子供と駆け回っていたので6時代のガッチャマンはほとんど見てなかったように思う。

 

しかし、マジンガーは視に帰っていたw

マジンガーZは人が乗り込む初の搭乗型ロボットの元祖とされるが、原体験がマジンガーZな自分にとってはそれが「あたりまえ」な状態として刷り込まれた。

 

スーパーロボット大戦などではガンダムはリアル系、マジンガーはスーパー系とされるが、事作劇においてはマジンガーは敵にどう対処するか?マジンガーをどう改良するか?という点がリアルさを醸し出していた。時折織り込まれる人間ドラマも侮れない。

 

自分にとっての原点はマジンガーZであったと言っても過言ではない。

 

その後、シリーズはグレートマジンガー、グレンダイザーへと続いていく事になる。

 

 

個人的にはグレートマジンガーのデザインが最も洗練されたデザインだと思っている。

作風はより戦闘色が強まり、マジンガーZの危機に駆け付けた無敵っぷりはどこへやらやたらピンチの描写が多かった印象が・・・・(;´・ω・)

当然ながら終盤の甲児の帰国からマジンガーZ参戦は子供心に燃えたのは言うまでもない。

そして兜甲児というキャラクターが好きなのだと自覚させられたのだが・・・・

グレンダイザーでの扱いは知っての通り。

当時の子供たちはマジンガーZの搭乗を心待ちにしていたが叶う事は無かった。

それもあってか、当時はグレンダイザーはあまり好きではなかった。

デュークフリードよりも兜甲児の方が子供にとってはヒーローだったのだ。

※甲児が出てたから見てたと言っても過言ではないw

 

まあ・・・歳を重ねてから見るとグレンダイザーが名作なのが骨身に染みるようになるわけだがw ※デュークと甲児の関係性が逆に面白さのポイントとなっている。

 

 

この頃、市民会館等で年に何回か1日限りの上映ではあるが映画が上映されていた。

新聞の広告と一緒に割引券が配布されていたりもした。

人生において初めて見た映画が市民会館で上映された「東映まんがまつり」であり、

その時の看板作品が「グレートマジンガー対ゲッターロボ」だった。

 

 

他は当時のUFOブームに乗って制作された「これがUFOだ!空飛ぶ円盤」をはじめ、「アンデルセン童話にんぎょ姫」「がんばれロボコン」「魔女っ子メグちゃん」「仮面ライダーアマゾン」が同時上映だった。

グレートマジンガーのサイン色紙を買ってもらった記憶があるが・・・・(中学くらいまでは取ってあった)

 

さて、当時は東映製作のロボットアニメが他に木曜夜7時から「ゲッターロボ」「ゲッターロボG」「大空魔竜ガイキング」と放送されていくが、日曜日のマジンガーシリーズほどの熱量は持たなかった。

 

当時、友達とも議論(←小学生低学年なんだぜ?)したが自分は「特撮」よりも「アニメ」派だった。※でもちゃんと見てる。

ただ、放送局でほぼリアルタイムで放送されていなかったので遊び歩いている時間と重なりあまり記憶には残っていない。

 

そして1975年に民放腸捻転と呼ばれるネットワーク系列の統一が整備され、民法は現在のキー局5局のネットワークとなる。

これにより、2局しかなかった田舎では途中で打ち切られたり、放送すらされない番組が増加した。以後、テレビ東京系の番組はほとんど放送されず、切り替えのタイミングの影響で「仮面ライダーアマゾン」は放送すらされなかった・・・(;´・ω・)

今のネットワークになってから仮面ライダーシリーズは土曜夜7時からの放送となり、普通にリアルタイムで見れるようになったが、それまで仮面ライダーを放送していたテレビ朝日系列がそもそも無かった為、アマゾンの後番組として始まった「秘密戦隊ゴレンジャー」は夕方再放送枠で週遅れの放送となった。

この様に幼少期は仮面ライダーをはじめとする特撮ヒーローにはさほど思い入れが無い様にも見えるが、幼少期の写真を見ると仮面ライダーXのセタップ!のポーズで写ってる辺り・・・(;´・ω・) ※パーフェクターを装着したポーズ

 

 

物心ついてから小学校入学前後まではこのように普通(?)の子供だった。

 

 

そして・・・・

 

 

放送当時は、テレビ局が無く、夕方の再放送枠の週遅れの放送であった為、元気に外を飛び回っていた子供だった自分はあまり見ていなかったはずだが、ガミラス星の決戦は見た記憶がある。

そして、第一次アニメブームの始まりとされる劇場版「宇宙戦艦ヤマト」の公開。

当時まだ小学校低学年だったが、どういう訳か「ヤマトが人気がありブームになっている」という事は知っていた。(ニュースにでもなっていたのか?)

翌年公開された「さらば宇宙戦艦ヤマト」でヤマトブームは頂点を迎える事になる。

 

 

この頃、アニメージュをはじめとするアニメ雑誌が創刊されヤマトは社会現象となっていった。

そして流行りものに飛びつく習性のある子どもは当然、ヤマトが話題となり、当時、バンダイから発売されていたプラモデルの「メカコレクション」シリーズは100円とリーズナブルな上に文房具店等でも買えた事もありヒット。(集めた)

気が付くとクラスで一番ヤマトに詳しい奴になっていたw(別名:ヤマト博士)

※余談だがこの頃はまだ映画観に行った事すらない。つまり未見。

秋から放送が始まった「宇宙戦艦ヤマト2」を毎週楽しみに見ていた。

 

・・・・思えばこの頃から凝り性というかオタク気質が現れ始めたのかもしれない。

 

さて・・・話は変わって、漫画事情である。

実は幼少期はほとんど本を読まなかった。

一番最初に自分で小遣いを出して買った本がこちら。

 

 

しかも1巻のみ。

早々にカバーを失くし、本自体はまだどこかに仕舞ってある気もするがw

 

しかし、そんな自分に転機が訪れたのが・・・・

水曜夜7時から放送が始まった「ドカベン」。

 

 

実は親父がハマり、ドカベンの単行本を11巻~20巻まで一気買いしてきた事からはじまる。

※当時は30巻まで発売中で買い物に行くたびに少しずつ集めていった。

以降、我が家ではドカベンシリーズはドリームトーナメント篇完結まで追い続ける事となる。

※のちに水島真司作品は「野球狂の詩」をはじめ数多く集めた。

 

それまでは遊びに行った祖母の家で従兄が買っていた週刊少年チャンピオンと週刊少年マガジンを読んでいた記憶がある。

どうやら自分はマガジンよりもチャンピオンの方が好きだったようで・・・

「ドカベン」

「らんぽう」

「マカロニほうれん荘」

「がきデカ」

「エコエコアザラク」

「恐怖新聞」

「750ライダー」

と、スラスラと当時の連載タイトルが出てくるw

一方、マガジンの方は・・・・

永井豪の「手天童子」しか覚えていねえ・・・・

 

 

手天童子は高校の頃にようやくワイド版で単行本を揃え通して読むことになるのだが、個人的には永井豪の漫画で最高傑作であるといっても良いと思う。

意識してないのに上手くハマった伏線やハッピーエンドで綺麗に終わる。

この次に連載された「戦国秘帖 黒の獅子」も好きな漫画であり、この頃のマガジンといえば永井豪が何を連載してるか?が気になっていた。

デビルマンやバイオレンスジャックは中学になってから読んだ。

 

さて、順調にドカベンを買い続けている・・・・言い方を変えればドカベンしか買っていなかった自分にさらに転機が。

 

東京の親戚の家に遊びに行った際に従兄から「サイボーグ009」の単行本1巻~10巻までを譲ってもらった。

 

 

当時、宇宙戦艦ヤマトにハマりSFに興味を持ち始めた時だったのでクリティカルヒットとなったw

その後、テレビでもシリーズ第2作目の放送が始まり、週刊少年サンデーでの連載が始まったりして以降、追い続ける事になる。

 

また、この頃に小学館よりコロコロコミックが創刊され、友達とこづかいを出し合い、共有財産として購入し始めた。(最初は月刊誌ではなかった。)

ドラえもん等、藤子不二雄の漫画が中心ではあったが・・・

 

 

内山まもるの「ザ・ウルトラマン」をはじめとするウルトラマンのコミカライズが一番の楽しみだった。

 

ウルトラシリーズでの一番古い記憶がレオであり、この頃は第二期ウルトラシリーズが終了しての空白期であり、自分の世代ではウルトラシリーズの原体験はテレビよりもこちらのコミカライズだといっても過言ではない。

※再放送とか見てはいた。特に初代、セブン、タロウのリピート率が高かった。

 

70年代の漫画事情はこんな感じ。

 

最後に映画事情であるが・・・・

 

なんと、生まれて初めて映画観で観た映画が・・・・

 

 

STAR WARS

 

今でいう「STAR WARS episodeⅣ 新たなる希望」である。

アメリカでの大ヒットを受け、日本では一年遅れで公開。

当時大学生だった従兄に連れられ吹き替えもない時代に観に行ったw

どうやら東京から遊びに来ていた従兄が面白かったという事で母方の従兄弟総出で観に行った記憶がw ※当時小学校低学年。

 

同じ年に続けて、

 

 

スーパーマンも観に行った。

こちらも字幕スーパー版。というか、当時は吹き替え版は無かった。

やたらと濃密な夏休みだったと今でも思い返すw

 

翌年。

 

 

自分の意志で初めて観に行った映画が「銀河鉄道999」。

2回観に行った。

※一緒に行くはずだった姉が体調不良で行けなかった為、姉が行った時にも付いて行った。

 

今日までに数々の映画を観てきたがこの999は未だに人生における傑作映画として5本の指に入る。

2時間ちょいの間に物語が過不足なくまとめ上げられ、ハーロックをはじめとするゲストの豪華さ、テンポの良いストーリー構成、劇場版ならではのクオリティ。

現在におけるジブリや新海誠の映画とはまた違うベクトルで社会現象となり、ヤマトから始まったアニメブームの頂点でもあった。

※興行収入とかをよく引き合いに出す事があるが、当時の料金や今の様にコアなファンが鬼リピートして叩き出した数字ではなく、老若男女問わず知名度も高かった。

 

 

さて・・・・ホビー関連、ゲーム関連はこの頃は特筆すべきことは無い。

 

おもちゃはクリスマスの時に「サンタさん」が届けてくれるだけだったし。

※家族談:幼少期はトミカを買い与えていたが庭に全部埋めていたらしいw

一番最初に買った(買ってもらった?)プラモデルはメカンダーロボだった気が・・・(;´・ω・)

 

ただ、父方の従兄弟にプラモデル好きの従兄弟がいて、遊びに行くたびに組み立てた車や戦車のプラモデルをもらって帰ってきた記憶はあるんだが・・・・(;´・ω・)

 

 

この時代、まだゲームは無い。

 

 

次回、80年代前編。

松本アニメ全盛期、そして・・・・Gが来る。