ブラトガシの皆さまがやってきました! 今日もブログを訪問していただきありがとうございます。5月1日、雨の中【まいまい東海】様の町歩きツアーの皆さまがいらっしゃいました。ブラタモリでタモリさんをご案内した富樫先生がガイドです。【寺町ガイド】の活動の一環で、瑞雲院と臥雲院の住職が瑞龍寺へご案内しました。瑞龍寺は修行道場のため、原則非公開です。梅まつりのときだけ公開しています。住職さん二人ともこの修行道場で修行をいたしましたので、ガイドはバッチリです。襖絵は【龍】です。向かって左側が龍の頭です。向かって右側が龍の尻尾になります。しっぽの方の襖を開けるとその奥にはもう一匹龍がいます。こちらは、梅まつりのときでも見ることはできません。龍の頭の方の襖を開けると、【瑞雲の間】です。龍の掛軸が掛かっています。本堂のみとなりましたが、皆さん興味深く見学されました。お庭から眺めた本堂と坐禅堂です。3月頃には大きな梅の木がピンクの可愛い花をたくさんつけます。雨の中でしたが、緑濃い瑞龍寺山(水道山)を背景にとても静かな瑞龍寺でした。令和の時代、修行を積む雲水さんがいる瑞龍寺。毎日、朝夕鐘つきをされています。【ブラトガシ・楽市楽座編】タモリさんを案内した富樫先生と、楽市楽座の城下町へ~市場跡、寺町、織田塚…信長が築いた自由商業都市、今に続く岐阜の中心街をいく~岐阜城の城下町である岐阜の町。戦国時代に斎藤道三によってまちが作られました。その後、織田信長によってさらにまちは充実し「岐阜」と名づけられたと言われています。信長は、岐阜の町において市場税を免除し商いの参加を自由にする政策を行いました。「楽maimai-tokai.jp
【ブラトガシ・楽市楽座編】タモリさんを案内した富樫先生と、楽市楽座の城下町へ~市場跡、寺町、織田塚…信長が築いた自由商業都市、今に続く岐阜の中心街をいく~岐阜城の城下町である岐阜の町。戦国時代に斎藤道三によってまちが作られました。その後、織田信長によってさらにまちは充実し「岐阜」と名づけられたと言われています。信長は、岐阜の町において市場税を免除し商いの参加を自由にする政策を行いました。「楽maimai-tokai.jp