①北方領土
ロシアとの間の領土の画定は、1854年の日露和親条約で定められました。日露和親条約では、択捉島以南を日本領、得撫島以北をロシア領、樺太(サハリン)は日露雑居地とすることが定められました。しかし、雑居地になっていた樺太で日露の衝突が起き、帰属が懸案になっていました。また、日本は北海道開拓で手一杯で樺太の開拓に手を出せませんでした。
そこで、日本政府はサンクトペテルブルクに全権大使榎本武揚を派遣し、樺太・千島交換条約を締結しました。この条約で樺太の全権利をロシアに譲り、そのかわり千島全島を領有しました。これにより、宗谷海峡(宗谷岬と樺太の間)と占守海峡(占守島とカムチャッカ半島の間)に国境が画定しました。
この後、1905年日露戦争後のポーツマス条約では、北緯50度以南の樺太(以下南樺太)が日本領、以北がロシア領になりました。
第二次世界大戦の末期、1945年8月8日にソ連が日中戦争を無視し対日参戦をしました。この際、ソ連は、不法に南樺太と千島列島・択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島を占領しました。サンフランシスコ平和条約の結果、日本は南樺太と千島列島の領有権を放棄しました。当然、サンフランシスコ平和条約で放棄した千島列島には北方領土(択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島)は含まれていません。現在も日本固有の領土である北方領土はロシアが不法に占拠しており、また、日本政府として得撫島から占守島の千島列島・南樺太は国際法上帰属未定地という立場をとっています。
②小笠原諸島
小笠原諸島は、長く無人島でありましたが、19世紀に入って捕鯨が盛んになると欧米系の住人が定住するようになりました。1861年には江戸幕府が役人を派遣し領有を確認していましたがその後引き上げていました。そこで、政府は、1876年に小笠原諸島の領有を宣言し、内務省の出張所をおき、統治を再開しました。
③尖閣諸島
尖閣諸島は、19世紀後半まで無主地の無人島でした。1895年に、現地調査を行い清の支配下にないことを確認したうえで、第2次伊藤博文内閣は閣議決定で日本に編入し沖縄県の一部となりました。明治期には、古賀辰四郎によって尖閣諸島の開発が進められるなど、尖閣諸島はわが国固有の領土であることは明確です。
しかし、戦後尖閣諸島周辺に天然ガスや原油が採掘できることが国際連合アジア極東経済会議(ECAFE)の調査で判明すると、中華人民共和国や中華民国(台湾)は領有権を主張し始めました。2012年に、野田内閣は尖閣諸島を国有化しました。
④竹島
島根県隠岐の島沖にある竹島は、江戸時代からアシカ漁や漁業などの日本による経済活動が行われていました。20世紀の入ると、移住者も現れるなど民間人の竹島利用は活発化ました。そこで、1905年に第1次桂内閣は閣議決定で竹島を島根県に編入しました。
1952年に大韓民国(韓国)の李承晩大統領は、いわゆる「李承晩ライン」を一方的に宣言し、竹島を独島(韓国名)として韓国領としました。そうして、竹島を現在に至るまで実効支配しています。当然、竹島は我が国固有の領土であり、政府は実効支配の終了を求めています。