私がするのは、議論の方向性の定義だけで、

その方向性の中で発生する個別具体的な内容(幸せの定義論)は人それぞれ違うものなので、

そのことについては触れないし、

人の意見を否定しません。

 

各々勝手に考えれば良いと思っています。

 
 

まずは、方向性の定義から。

 

 

◆方向性の定義(趣旨)◆

人類が幸せに暮らすには、「もっと余暇を持つこと」と定義して、

総人口の総労働時間を減らすというもの。

 

すると、人類は今よりも少人数構成で、
(1000年とか長きに渡り持続可能な) 

幸せな人生を送ることが出来るかもしれない。

 

「GDPを上げ続けなければならない(MUST)」という、

現在の資本主義タイプでは無いため、
収入が下がったり、富の分配量は減ったり、お金を使って実現する満足感が減ったり

かもしれない。

 

しかし、その事自体を不幸と捉えない。

 

つまり、みんなが自分の中に存在している比較論を捨てる必要がある。

 

良い副次的効果もあるだろう。

(例:資源の枯渇時期が遅まる/戦争減る/ひいては新たな価値観の創造)

 

 

 

次に、どのような方法で、

人類が、余暇を持ち、幸せに暮らすことが出来るかを

考えてみる。

 

◆方法◆ 
有限である、総労働時間を幸せに暮らすことが出来る産業に限定して、配分する。

=残す産業を決める(人類に残す産業)

 

つまり、現代の様に、お金を産み出せるからといって全ての産業の存在を肯定せずに、

あくまで、淘汰産業を決めていく

 

無くなった淘汰産業で働いていた人間は、

残す産業に転職する。

 

より多くの労働者で、残す産業の労働をすることが出来るため、

より短い時間で仕事が終わる。

 

人類の総労働時間が減る為、

空いた分が「余暇」となる。

 

 

◆ポイント◆
幸せの定義論は人それぞれだから、
残す(あるいは淘汰)産業が異なるのは当然で、

その対象の議論をすること!

例えば、

幸せに暮らすには、命とペットが重要であれば、
「衣食住、医療、ペット産業」 とか、

命とインフラが重要であれば、
「衣食住、医療、自動車産業、公共事業(道路整備)」
とかだ。


100人いたら100人の幸福論がある為、

「全員意見が違った場合は、どうするか」と言われるかもしれないが、

そうはならない。

 

ある程度、似かよる。

 

その似かよった産業を、

残す産業とする。

 

ここに民主制を重んじる。

 
 

おそらく、

「衣食住」「命を守る産業」「生活必需品産業」の人気が高くなるはずだ。

 

人間は生物なので、

生物としての根源に近い生活の姿も

現代版の形になって、再度姿を現すだろう。

 

 

そして、この議論の深まりは、

自然と、軍需産業(=戦争産業)を否定する。

 


私は保険業界にいるが、

保険は、生活必需的ではなく、

未来における起こるか起こらないか分からないことにお金をかけておこうという、

+αの贅沢品なので、淘汰産業に入るかもしれない。

宝飾品産業 等もそれに当たるかもしれない。

 

 

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