では、「日本沈没(1973)」の後半記事になります。


後程掲載する、なんて言っておいてかなり時間が経ってしまいました。
ちょ~っと仕事が忙しく、すいません。

では、始めたいと思います!


日本に訪れた未曾有の事態に対処するため、進められるD-2計画

渡老人の元に呼ばれた3人の人物が、そのプランを完成させます。
僧侶、社会学者、心理学者が導きだした対策は、ケース別の3つのパターン。

その対策とは…


①別の国を作る


②他の国に帰化する


日本と運命を共にする


この3つです。

①が叶うような場所は、どこの国にも属さない「無主地」なんていうのも地球上には存在するようですが、国境問題が絡んでいたり、南極のような、人が住めない環境です。


②については、もっと難しそうですね。
劇中でも、オーストラリア政府が
「日本人を500万も受け入れたら、国がもうひとつ出来てしまう」と警戒します。
他国も、住民の反感、キャンプのスラム化、疫病の発生、紛争や犯罪の温床と理由をつけて、一億人以上の大移動など不可能だと拒絶されます。

特に、韓国と北朝鮮は最後まで日本人を助ける姿勢を見せませんでした。




残るは③。
もう対策にもなっていませんが、①と②がほぼ不可能なことを考えると、「腹をくくるしかない」という結論が出てしまうのも、仕方がないのかもしれません。

それとも、我々日本人の根底に染み付いている諸行無常の精神が、民族全滅という悲劇でさえも受け入れようとしているのでしょうか。




D-1の結果では、10ヶ月でほとんどの陸地が沈む日本列島。

2週間後に国民に発表することを決める内閣。
発表のあと、緊急事態を布告し、国のすべてを政府の統制下に置くことになると山本総理が説明します。
輸送船の建造や飛行機の滑走路延長などに、国家の全てを投入しなければならないからです。


緊急事態宣言
コロナ禍の現代では聞きなれてしまった単語ですが、Wikipediaによると「法令などに基づいて特殊な権限を発動するべき事態にあると宣言すること」らしいです。

「酒類の卸売りまで制限する」という対策でバッシングされたこともありましたが、そもそもはこういう意味なんですね。

結局1番強いのは世論なので、現状あまり効果が出ていない緊急事態宣言。
そう考えると、民主主義の長所と短所が見えてきそうな気がします。


そうしているうちに、遂に富士山が噴火小野寺と玲子が引き離されます。


本格的に終局を迎える日本。



大阪が、大阪城の頭を残して全て水没。

岩手県三陸海岸が吹き飛び、東北地方や北海道が2つ、3つに分断。

中央構造線から、真っ二つになる本州。



本当に日本が沈んでしまいました。






世界のどこか、雪原の中を走る列車に、阿部玲子が乗っています。曇った窓を手で拭い、力無い表情ながらも進行方向に目を向けます。


また別の、蜃気楼が汽車をぼかす暑い国。
包帯を巻いた日本人たちの中に、小野寺の姿が。
カッと見開いたその目には、強い意思が宿っているようです。
そんな小野寺たちを乗せた汽車が土煙を上げながら走っていき、本作は幕を閉じます。



タイトル通り、完全に沈んだ日本。
バットエンドとなりました。



「爬虫類の血は冷たかったが、人間はそうでないはず」と諦めずに外国を説得し続けた山本総理、そして日本と共に寿命を迎えた渡老人。

彼らが尽力した結果、
なんとか半数の日本人は世界のどこかで居場所が見つかりました。


生き残った小野寺と玲子。

しかし、そこには将来を誓い合ったパートナーはいません。故郷だけでなく、愛する人までも失ってしまった日本人。



それでも、生きていくしかない。



「日本人は、民族としてはまだ若い。
外に出て喧嘩しても、帰る国が無い。
それでも、海千山千の世界のなかで生きていかなければならない」
日本と心中を選んだ田所博士が、最期に残した言葉です。


その言葉通りなのでしょうか。
虚ろな表情を見せながらも、二人は生き抜こうとしています。



どこか希望が残されたような、そんなほろ苦いムードで締めくくる「日本沈没」。
「奪われる側」、「敗者の美学」。
日本人特有の感性が、ハリウッド映画には無いビターエンドを生んだのでしょうか。
超ド級の迫力で魅せる特撮や、多くの登場人物から成る最高の群像劇。
CGなどはありませんが、間違いないなくSF映画の金字塔と呼ばれるべき作品です。