「あのときは、あんなふうでしかなかった」
嫌いなジェットコースターに乗せられ、急降下していたような感じかも。
一年前、
最悪な状況、なすすべがない・・・と、いわれることを恐れながら検査を続け、当時の主治医H先生の結論が出るまでの二週間は長かったです。
が、状況に応じて追加検査というのがあまりありませんでした。
とはいえ、がんではなく、CTで明るみに出た卵巣肥大で、婦人科にもかかるという拡大もありでした。
でも、手遅れでなければ、治療すれば、きっと治る!と信じていました。
手術がどんなにたいへんか、なんて想像していませんでしたし、抗がん剤を使ってどうなるとか、この時期何にも考えていませんでした。
いくら費用がかかるとか。あんまり心配しませんでした。
どんなカラダになるとか。あとでビックリ。
何年生存率とかもね。しばらくは持つと思っていたけど、現実の厳しさを後で知りました。
それこそ、今思うと、日々いっぱいいっぱいだったのです。
自分で創造した絶望と希望が半々で、現実を知ることはかけ離れていたのかしら。
病気のことは、家族はもちろん、会社は直属関係には知らせてありました。
あと親しい友人たち。ちょうど連絡のあった友人たち。
親戚や広くは会社には知らせませんでした。
今日の私
昨日焼いたチーズケーキを会社でおすそ分けしました。
好評!初めてのレシピだったわりには。
先週、地雷踏みまくり、自爆していた私でしたが、
今日は、向えのMちゃんが 沈没していました。
私と違い、落ち込んでいた彼女に
「こんな日は早く終わらせよう!」とベル(が鳴ったら)さっさ(と帰る)を勧めました。
まだ月曜日だし。