​ネガの優しい想い

昨日の夜、ネガと和解しました。


いつもどおり、

仮病だ、演技だ、病気のフリしてるんだ、ほんとは寝れてるくせに不眠のフリして、体フラフラなのも心配されたいだけの演技、声が聞こえてるのも嘘…

と騒ぎ続けるネガ。

ポジは疲弊して言い返す気力がありません。

ネガが言ってることをそのまま旦那に話すと、

旦那は怒りを抑えて丁寧に反論しましたが

ゾウリムシを傷つけるなら出てくるな!

と言いました。


すると、なんとネガが泣いたのです。

悲しそうに、苦しそうに大声で泣き叫ぶネガ。

私の頭の中はネガの泣き叫ぶ声で

いっぱいになりました。

たちまちCが出てきて、ネガをあやします。

ネガの気持ちもわかる、

ネガの全てを否定しているわけじゃない、

でも、ポジが元気になってもらうためには

ネガもバランスをとってもらわないといけない、

ネガを責めてるわけじゃない、

大丈夫だよ、大丈夫だよ…。


言い聞かせていると、なんとネガが本音を語り始めました。

ほんとは、ポジが苦しんでることも、声が聞こえてるのがおかしいことも、仮病じゃないことも全部分かってる。でも、この病気は他人から見たら仮病に見えるし理解されないと思う。ポジは弱いから、人から仮病だなんて指摘されたら壊れてしまう。だから私が代わりに言ってあげてた。ポジが傷つく前に先に私から言ってあげた方がいいと思った。憎まれてもいいから、ポジが傷つくのを最小限にしようと思った。


なんとネガは、他人から言われるであろう客観的な視点からの私への批判を心配して、ポジに伝えてくれていたと言うのでした。不器用なやり方だったので私も傷つき疲弊するばかりで、ネガの本音に気づけませんでした。

つまりネガが言ってくることには、語尾に「…って思われるかもしれないよ」をつけると良い、と気づきました。

でぶ→でぶって思われるかもしれないよ

心配されたいだけだ→心配されたいだけだ、って思われるかもしれないよ

と言った具合。

他人を信用できず、他人からの評価を異常なほど気にしてしまうネガは、人に嫌われないかどうかを常に気にしています。そこから生まれた、ネガなりの不安、そして優しさだったのかもしれません。


寂しがり屋なネガを孤立させすぎてしまった。

構って欲しくて、誰かに不安を聞いて欲しくて

暴言と言う形でしか自己表現できなかったのかも。

旦那と一緒に、ネガに酷いこと言ってしまったと

謝って、これからはネガも大切にするよと言うと

ネガは泣き止み、しばらく呆然としていました。


私の頭の中の人格たちは話し合い、

とにかくポジを元気にすることで一致したようです。仕事したり友達と遊んだり、普段の生活を明るく楽しんでくれるのはポジですからね。社交的でみんなが「ゾウリムシだ」と認識してるのもポジだと思います。(他の人格も、接する相手によっては交代してくれますが。)

今は疲労で倒れているポジ。

私も早くポジが私の中に入ればいいのにと思っています。残念ながら私は誰が入るかをほぼコントロールできません。ポジが不在だとネガが私の中に入ります。悪い子ではないとわかったものの、ネガが入っているのは辛いものです。自傷衝動や希死念慮もありますからね。


でも、ネガの本音が初めて聞けてよかった。

なんだかんだ言って、結局は私を守るために生まれた人格なんだな、と再確認しました。1番の古株なので、うまく付き合っていこうと思います。

ネガ、一緒に頑張って生きようね。