嫌われちゃった人がいるらしい。

あなたたちあの人の何を知ってるっていうの!

なんとなく、で好き嫌い判断するのは、

人間だもの、仕方がないけど、

せっかくお近づきになりたくて、

こっちに来てくれてる人を、

「なんかうざい」の一言で屠るのは、

ちょっとよくないと思うんだな。

So hopeless ね。

農民や耕作人を馬鹿にするのも、

外見に気を使わない人を馬鹿にするのも、

勝手にしてればいいけど、

そういうことしてると、

ばちどころか、

テポドンあたるよ。

だって自分がされたらどう思う?

その枠にはめられたらどう思う?

自分がもしそういうことを考えられてたらって思うと、

んん...ぞくぞくして、換えのパンツが必要になっちゃうわ。


~「中間にいる」人ってさ~
農民でも貴族でもない中間を見てるってことは、自分の考える「農民」と「貴族」の端と端があるわけで、自分の経験(見聞き)したことに由来するでしょ。っていうことは、その人が自分が中間にいる意識があることがすなわち自分の実体験の中での狭い視野においてのカテゴリにたまたま「農民」と「貴族」があって、それが両極端にあって、で自分が中間にいるような錯覚を覚えて安心するってことでしょ。それって自分が貴族であることを一度でも妄想しなければ、実際に貴族の限界づけが出来ないと思うの。だってさすがに「貴族」に「キムタク」とかは含まないわけだし。だから自分の手の届く範囲の「貴族」があって、そこには含まれず、「農民」の気持ちも分かっているようなふりをして、でも自分は「貴族」とも関わりがあることで安心感を覚えているっていう、いわゆる「中流階級」の人間の考えることなんだろうよ、怖いよね。日本人って、そういう考え方で、自分は中間にいるから「農民」も「貴族」も網羅しているような気になって、めんどくさいものを全部「農民」に押し込んで、媚びへつらいたいものに対して「貴族」と言っておだてたりするんだろうなって思った。そこには、不快なほどに根付いた差別とか偏見が渦巻いてると思う。差別を区別だと言い訳して納得してるのと同じことだよね。まあ僕が言いたいのは、おまえら全員「農民」だろってこと。貴族語ってんじゃねえよ。全員どんぐりの背比べで、違う線で考えたらおまえらが「農民」で、彼らが「貴族」なんじゃねえのかよ、ってことなんだよね。見た目、生き方、具体的に言えば、人との接し方、服装や化粧、勤勉かどうか、セックスアピール、天才と凡人、楽器の上手さ、勉強、ユーモア、全てにおいて「貴族」でありえる人なんてそうそういないだろうし、それも何をもって「全てが貴族階級」とするかの基準が違うんだから、「全てが貴族階級」であることがもはや他の線では「農民」扱いされてしまうかもしれない。だったら、全員何か欠点があるんだから、「農民」でいいんじゃないのかな。下手に分けられるくらいなら、もともと別に区別しないでいいんじゃないかな。それぞれが同じわけはないんだから、好き勝手にいればいいんであって、「誰かと一緒に中間にいられる幸せや安心感」のために「農人」におとしめられた人の気持ち考えてみたらどうなるかわかるような気がするんだけど、関係ないけどなんか熱くなってしまった。