災害の予報が先祖を精製する科学とか、

滋養物なら構わず飲み込んでしまう愚かさとか、

適性試験の模倣をしてどうするのかとか、

イメージとしてそういうものが湧いてきて、

実質的な意味で現実社会で目の当たりにしたんだ。

対峙しなければならないものをね。

得るものを得るために、

最後に何かを捨てることを受け容れて、

(自立でぼやけずに)楽しみたい。

だから快楽主義に固執するつもりはなかった。

しかしなおも技術的に有能な報復は、

輪廻しかしてないし、

「普遍的な存在でありたい」とか、

ばっかじゃねーの?

属してる心地はある意味排他とも言えて、

陥没に致命的なほどのめり込む危険も備わって、

気付くと包み込まれてるパーソナリティがあって、

だったら邪魔になるより先に、

なんとかかんとかの呪文で、

出入り口を用意すればいいとさえ思う。

上級の仕事であるほど退屈なのは、

勤勉さの対価として知り得ているけど、

思いやりのある知性は、

シニアの純粋さに伴って消え去ったのか。

素敵なことばかり起こる。

素敵なことしか起こらない。


今の生活に満足している。