6月のゾウたん家への定時入厩のお馬さんは5頭。ただ、その中の3頭に関しては、次のリンクにある顕彰馬の選定がきっかけとなった。

 

ターフィー通販クラブのサイトを見ているとその中の1頭がSサイズで展開していることを確認。


「これは顕彰馬選定効果で購入の競争倍率上がるぞ…」


と焦ったのかその馬を含めその馬の購入を決断。ついでに『いたらいいな』と思うお馬さんも2頭いたので追加してゲット。

(ほかにMサイズのお馬さん2頭も入厩させたが後日紹介ということで。)

 

おチビチームと同じサイズでの規格にはなるが、レジェンドが3頭結集し、3頭とも(史実ではすべて鬼籍に入っている)孫世代以降にも血統的枝葉が連なっていることから、

 

『じーちゃんズ』

 

として結成することに!

 

 

以下、入厩した3頭を史実と我が家でのあだ名とともに紹介しておく。




(画像左)シンボリルドルフ

1981年生まれ。岡部幸雄騎手(当時)と苦楽を共にし8戦無敗でクラシック三冠制覇の後国内では敗退する方が珍しいほどの強さを見せ最終的には国内では七冠にまで到達。米国遠征で掲示板を外し引退し種牡馬入り。パーソロン系の基幹種牡馬として孝行息子を出すなど内国産競走馬の発展に貢献。三冠達成の年から2年連続優駿賞(当時:現在のJRA賞)の年度代表馬に輝いたのち1987年顕彰馬に選出。新潟デビューのクラシックホースの代表格でもある。

我が家でのあだ名は『ルドルフ爺さん』

 

(画像真ん中)キングカメハメハ

2001年生まれ。出生は母がアメリカでの受胎後輸入される形になったため持ち込み馬としてで松田国英師への師事のもと京都デビュー。3歳の春は東京にこだわる形に使われNHKマイルカップ勝利から日本ダービー制覇という離れ業をなし遂げる。天皇賞(秋)への挑戦を前に屈腱炎で引退(同年にJRA賞の最優秀3歳牡馬に選出)の後ミスタープロスペクター→キングマンボの血脈の伝承を担う種牡馬として三冠牝馬・名スプリンターなど多彩な子供たちにめぐまれる。鬼籍に入った後にはなるが今年の顕彰馬選出記者投票で81.3%の得票率に達しファンの悲願ともいわれる顕彰馬に選出されるが、子供(ロードカナロア)と孫(アーモンドアイ:ウチの姫)が先立って顕彰馬に選出されていることから父子三代で顕彰馬に選出された計算になる。

乗り役は変わることもあったが、笠松競馬から中央競馬に飛び込んだ安藤勝己氏(元騎手)との名コンビとしては代名詞でもある。 

我が家でのあだ名は『カメ爺さん』。

 

(画像右)ハーツクライ 

カメ爺さんと同じ2001年生まれ。日本ダービーでカメ爺さんの2着に入り、4歳時のジャパンカップでおじちゃん(オグリキャップ)が叩き出したタイレコードを0.1秒上回る時計を叩き出しながらイギリス馬との死闘の末2着に泣いた。続く第50回記念の有馬記念で当時無敗最強を誇っていたくた馬(ディープインパクト)に土をつける大金星を獲得しこれがGⅠ初制覇の悲願。翌年ドバイや英国遠征を経て再びジャパンカップでくた馬と交えるものの喉鳴りに泣かされ大敗。サンデーサイレンス系の伝承の役割を担うべく種牡馬入りの後は芝・ダート問わず主に中距離を中心に優秀な産駒を送り出し孫世代にも年度代表馬がいるほど。

我が家ではスバルさん(シュヴァルグラン)、すわべさん(スワーヴリチャード)、リス子(リスグラシュー)といった面々が産駒になる。

我が家でのあだ名は『ハーさん』。

 

 

入厩に導いたきっかけはカメ爺さんなのだが、本音を言ってしまうと手に入れたかったのはルドルフ爺さんのほうであった。アバンティー社で製造していた際当時ドライブで立ち寄った現新ひだか町内の競馬グッズを販売するショップで『七冠馬』のゼッケンで発売していたのを目撃した記憶があり憧れていたが入手できることなく今回のアイドルホース化を迎える。れっきとした昭和の名馬の一角ということもあり、私のような50代のオッサン世代にとっての『競馬ファンにとっての悠久のお爺さん』という意味からも手に入れたかった。理想論を言ってしまえば希望はMサイズなのだがターフィー通販クラブでの展開の関係上こればかりは致し方無かったと考え入厩させる形に。

 

このお爺さん3頭はとても仲が良く、我が家でも比較的元気な介護いらずの面々。同じ規格のおチビチームと溶け込み、さらにはMサイズのレジェンドだとおじちゃんのほかにライちゃん(ライスシャワー)、専務(ナイスネイチャ)、ステさん(ステイゴールド)を話し相手にすることが多く、そこまでいかない若い面々でも今入厩しているお馬さんとのフレンドリーぶりには困ることはまずないと思う。