溺れる者に石を投げつける
月の光は優しく、暗闇を照らす・・・
星は、力の限り瞬きする・・・
13の私
君は思っていた・・・
「何もない闇、歩きたくても何も見えない・・・
静寂・・・光が射し込む隙間すらない・・・」
もう少しだ!頑張ってくれ
ほら、光はいつも君を照らしている・・・
昭和54年 大阪住吉区
「ほら、ちゃんと忘れんようにしとき」
母の注意が私に飛んでくる。
この頃までは、父の仕事で大阪に住んでいた
巷では、ピンクレディーの歌が流れている頃だ
母方の父である、おじいちゃんが病気で長くないとのことで、両親の実家がある長崎へ引っ越すことになったらしい・・・
すでに、やんちゃだった私は、一緒に悪さをした近所の幼馴染と別れをすませ身支度をしていたが、靴を一足忘れてしまったことだけは憶えている。
長崎へ引越してからは、良くおじいちゃんの家まで、お風呂に入りに行っていた
おじいちゃんは、無類のお酒好きで、良くお酒を取らされていた
「おい、H!そこにある酒ば持ってこんね」
長崎弁のイントネーションは、引っ越したばかりの私には聞き取りづらいものだった
間髪入れずに、おばあちゃんの激が飛ぶ!
「ま~た酒ば飲んで、早死にしても知らんけんね」
良くお泊りもした、限られた時間を大事にするように・・・
この頃の記憶で、あまりにも鮮明に覚えていることが一つだけある
母との「駆けっこ」だ
お風呂に入り、家に帰る途中で「よ~い、ドン!」の掛け声で一緒に走った。
まだ、20代の母の足に勝てもしないのに(笑
数ヵ月後、おじいちゃんは亡くなった・・・
まだ、人の死というものを理解できていない私は、棺桶の側で
「おじいちゃんは?おじいちゃんは、どこにおるん?」
おばあちゃんは、ただただ泣いていた。
私の言葉に答えたのは母だった
「おじいちゃんは、その箱の中でお休みしてるの」
「何でおじいちゃん寝てるん?」
「おじいちゃんは疲れてるから、起こしちゃダメよ」
「うん、分かった」
「おじいちゃん、はよ起きんかな~」
そんな会話を霊柩車の中で交わしたのを憶えている。
大阪から引っ越して来た私は、地元の子供たちにとって、とても珍しい存在だった。
ある日、一人で散歩をしていると、地元の同年代の子たちが私を取り囲んだ。
「お前、どっからきたとね」
「大阪」
「おおさか? おおさかなんか知らんば~い」
「なんやねん」
「うわ!なんやねん!とか言いよる~、きもちわるか~」
「お前らのほうが、きもちわるいっちゅうねん」と言い放って、走って家に帰った。
まあ、子供は素直に一緒に遊ぼうと言えない場合もあるだけのことだ。
その夜、仕事から帰った父に今日の出来事を報告する。
「あのなーあのなー、今日なー」
「なーなーうるさい!」
その一言で報告できなくなってしまった・・・
そして、保育園に入園すると、あの時の子供たちがいた。
すぐさまに仲良くなり、一緒に遊ぶようになっていた・・・
つづく・・・