天狗 | くじら、丸呑み。

くじら、丸呑み。

なんかいろいろ

天狗

逃走が暴走してそいつは蔵へ
帰って行った。

眠る前の闇に似ている。
似つかわしくない笑み。

ほほえましい老人は
ゆっくり石の上に腰を下ろし、
旨そうにズルズルと
茶を飲んでいる。

その老人に聴いてみる
 其方に尋ねるべき事は何か無いか、と
老人はうなずき、
 ワシに尋ねるべきことなどない
と風邪を介して返答する。

両手をぶらぶら持て余し、
沼の底で遊んでいた其れは
そろそろ浮上する時が来たかと
土のある所から見るよりも
少し青みがかった空を見上げ
そのあたたかな明かりに、目を瞬く。

天狗は目を細めたままで、
腰のあたりからぶら下がっている
古びた薄茶色の瓢箪に手を伸ばし
中身をひとくち口にして、
 ふーっ、と息を吐いた。

右の草鞋のすぐ後ろで
音もなくそっと休んでいた
一匹の小さなまだらの蛙が
クエッ、とひと声鳴いたかと思うと、
そのままぴょん、ぴょん、と何処かに飛び跳ねて行った。

天狗は草履を脱いで
マラソンのスタートの姿勢を採った。

もちろん、瓢箪の中身のせいで
ほとんど走れない上に走る気もない。

だけども、
明日杖を持ってここに来よう。
そして久しぶりに
陽光やら蝶々やら、
そんなものを眺めに行こうや。

その時
石の上で羊羹を食べ終えたばかりの、
あのほほえましい老人が
ぼんっ、と
銀色に光る狐に姿を変えた。