先日、朝姉から
「大変、ウチのお父さんが新聞に載ってるよ」
って連絡。。。「何??事件?事故??」って
もちろん質問。
新聞の記事を写メしたものが送られてくる。

実はさかのぼる事何年か前、父はネパールの
支援を始めた。仕事を引退してやり始めた
「自分のやりたい事。」の一つだった。
ネパールは昔の日本に似ているのだそうです。
実家にネパールの子供やら、いろんな国の
子供を招待したりして。。。
言葉が通じないから心配になった時や、
手持ち無沙汰になると、私に電話がかかる。
そんなに話盛り上げれないっつぅの。
と思いながら。。。電話口で会話する。
とほほ。「はじめまして~日本は楽しい?」なんて
質問してみる。そして、何か足りないものや
行きたい場所を英語で聞いてくれと言う。
私の英語力だって相当怪しい訳だし。。。
とほほです。
でも、「海を初めて見せてあげたんだ!」とか
とても嬉しそうに話していました。

昔から、父はいつも何か事件や
事故があると、一番に駆けつける人でした。
小さい頃、近所で火事があった時、
ももひきの下着姿のままで、「火事だぁ~!」と
叫びながら、近所を走り回り、仕切り、消火活動を
していた父を、「あの姿でなければいいのに。。。」と
複雑な気持ちで見つめていた思春期の私。
あの焼き付いた姿は今も忘れられない。
東海大地震が起こったら。。と
用心深くて、スパゲティーやらうどんやら
カップ麺を自分の会社の社員の分も
何百食もストックしていた父。
もちろん、各地でひどい災害があると
一番にトラックなどをチャーターして
すべての食料を送っていました。
その行動力に、いつもすごいなぁ~と
感心していましたが。。。
今回は、ちょっと。。。不安でした。
「~日からネパールに行ってくるから」って。
「まだ余震だってあるみたいだし、建物も
崩れやすくなっているだろうし。。。」
心配したって、聞いてくれる人ではありません。
無事に帰ってくるのを祈るのみ。
何日か後に帰って来て電話で話した一言めが
「いやぁ~、4WDはすごいな!」でした。
道無き道、崩れた崖のような場所も4WDは
すいすいと(4回止まって押したらしい)進んで
行ったそうです。
父が支援して服や日用品を運んでいた村は、
少し都会から離れた場所だったらしいので、
全く手が付けられてないひどい状況だったそうです。
「どこかの団体にお願いすると、手数料がかかる
みたいだから。」って、自分と周りの方の力で
集めた募金を持ってネパールに行った父。
「子供達は、学校にいたから助かったらしいよ」と
心から喜んでいました。
ネパールの田舎では粘度状の崩れやすい土で
家を作るところが多く、今回の地震で全て
壊れてしまった家がほんとに多かったこと。
父が行った村では1500世帯のうち8割が
全壊してしまったそうです。
学校の屋根も崩れてしまったけれど、粘度じゃない
素材だったので、全壊しなかったため、
子供達がたくさん助かったそうです。
それから、余談で帰りのトランジットで寄った
空港で食べた物でお腹を壊して、現在大変だと言う事。。
そんな話をしながら、「とにかく無事に帰って
来て良かったよ」と電話を切った。
けれど、こんな計画を立てているとは。。。。
「ネパールの学校を再建するために動いている」
新聞の記事はそう言っていた。
行動力と運で走りまわってる父。
私よりもよっぽど忙しそう。。。
いつも言えないけれど、尊敬しています。

父ちゃん!かっこいいぜぃ!
どうか体には気をつけてね。

(長々と家族の話ですみません。
おつきあいいただきありがとうございました)