おはようございます\(⌒∇⌒)/ といっても、お休みの日のいつものお昼過ぎのアップです。
今日は、ベーグルにクリームチーズとジャムをはさんで朝ごはんにしました。
この食べ方が一番好きです。
クリームチーズのまろやかさとジャムの甘みで本当に美味しく食べられます。
そして、今日は西本願寺さんを紹介
これは、太鼓楼と言われる重層の楼閣建築で、新撰組とは直接関係ないのですが、時を告げたり法要を知らせたりするときに太鼓を鳴らしていたようです。
当時からある建物で、もしかしてこの太鼓の音を新撰組の隊士も聞いていたのかなぁ~と思うと
この建物も特別な感じがしてきます。
永倉新八の記述によると「壬生手セ間ニ付西六条境内学林寺ヲ借リ本堂ヘノ境江矢来ヲコシラエ十二月引移ル」とあるように、壬生の屯所が手狭となり、西六条境内学林寺(西本願寺北集会所)を借り、竹や丸太で組んだ仮住まいをこしらえて引越しをしました。
ですが、、「門主ガ御髪剃ニ出タ時大炮砲強薬ニテ打ト門主驚キ後ロエヒツクリ返ル」とか「イジワルク門主ガ本堂江参ルトキヲ聞キ調練致イタス」などの記述から西本願寺の僧侶と新撰組はあまり折り合いがよくなかったようですね。
西本願寺に屯所を移転されることに強く反対したのが、山南さんでした。
その意見の相違から、だんだんと新撰組と山南さんの関係が悪くなっていくんですね。
別の資料には、伊藤甲子太郎の影響があったとも言われています。
その本によると藤堂平八郎が新撰組の内部分裂を企て、甲子太郎を新撰組に勧誘
甲子太郎も新撰組を自分の傘下のおき、それを手土産に薩摩藩へ、、というもくろみだったようです。
積極的に、思想を新撰組の隊士に説くのですが、あまり教養がなかった隊士にはそれが通じず、その策略も失敗に終わりました。
ですが数は少なくても少数の隊士は甲子太郎に傾倒していったようです。
その隊士の中に、山南さんもいたようですが、感情の起伏がある山南さんをもてあまり、突き放してしまったようです。
まずます孤立する山南さん、、、その後何があったか定かではありませんが、あの脱走事件を起こしてしまうんですね。
そして、西本願寺から移転して移り住んだ新撰組最後の屯所「不動尊村の屯所あとにある不動尊村の名前の由来になったお堂がこの不動尊です。
西本願寺から半ば追い出された形で移転したここ不動尊村の屯所は、大名屋敷にも劣らないほどの広さを誇っていたようです。
ですが、半年くらいで京都から新撰組の姿が消えてしまうことになったんですね。
あの鳥羽伏見の戦いのため、新撰組は伏見に移ります。
新撰組の終わりがもうそこまで近づいてきていたんですね。
ここを去るときに、土方さんの胸にはどんな思いがあったんでしょうね。


