『稲葉山城攻め』 ~再現ゲーム記録~
:PSソフト「戦乱」(エンジェル)

 


美濃 稲葉山城 守り手側 斎藤龍興軍を担当




~開戦前~
永禄七年 八月、美濃三人衆が寝返ったのを
機に織田信長は美濃の国、稲葉山城(現在の
岐阜県岐阜市 岐阜城)に軍を進めた。

秀吉の工作により多くの有力武将は寝返って
おり、城の運命は風前の灯…。

…果たして斎藤龍興は守りきれるのか?

この戦いの舞台は、難攻不落と謳われた斎藤
道三,義龍の名城 稲葉山城(現在の岐阜城)

 


…標高329メートルの山頂に本丸、山麓には、
のちの信長時代は千畳敷を誇る御殿を擁し、
長良川が事前の堀の役目を担う天然の要害
でもある。

織田信長軍は、総勢1万2千の兵力で稲葉山に
峰続きの相場山と瑞竜寺山の砦に陣を敷いた。
対する城側、斎藤龍興軍の兵力5千。


↑ 稲葉山城(金華山)全景 両軍の砦

上▽:織田方 17~35、下▲:斎藤軍 1~16


兵力差は2倍以上だが、稲葉山城には道三

が残した鉄砲が5百挺あり、織田軍とは同数

を保有しており、功を奏すか…。

攻め手側:
▽織田軍の陣容:31将 1万2千人…
 ---布陣---
主力軍⑱相場山、木下秀長1千,林 秀貞1千
            柴田勝家1千,池田恒興2千
      百曲道、佐々成政1千
別動隊搦手方面、木下秀吉5百(本丸西側)
東南の伊奈波山砦、坂井政尚1千
本陣㉕瑞竜寺山砦、織田信長2千5百,
            佐久間信盛2千

守り手側:
▲斎藤軍の陣容:34将 5千人…
 ---布陣---
大手門方面、 丸茂長住  7百50,長隆5百,
煙硝曲輪   長井道利 1千
百曲口に、  牧村牛之助 7百50
御殿方面、  日根野弘就 1千,重之5百
稲葉山城本丸、斎藤龍興 5百(>20名)



▲斎藤軍 ↑ 1(砦)が本丸、13が大手門

≪防衛作戦計画(斎藤軍)≫

 今回の防衛作戦は、斎藤軍は兵力で劣る
ことと、稲葉山城という難攻不落の要害の
地の利を活かし、基本は専守防衛ながらも

・積極的に最前線に防衛戦力を展開させる。
・逐次防衛線を下げて砦の防御力と高所の
 優位性で敵攻勢を暫時漸減させていく。
 (鉄砲を最大限に活かす)

そして、本陣近習 斎藤龍興(槍110>20人)
 のみ本丸に残し、残る4将480名をも出陣

 動員したうえで…、
・御殿,搦手(城下町)からの敵攻勢に対し、
 これを撃破できるような戦力を回す。
 さらに迂回して反転攻勢に出て敵主攻勢
 (大手口方面)を側面邀撃していく。
よって、長井道利1000名と本陣4将480名の
活躍が鍵を握る…。

以上のような作戦を立てて布陣していった。

~開戦~
永禄七年、八月十四日の夜明け前(晴れ)
突然の銃声を合図に大手門に織田軍による
攻勢がはじまった…。

柴田勝家,林秀貞勢が大手門へと殺到して
守る斎藤軍は、丸茂長住,長隆が防戦する。

一方で織田軍先鋒の木下秀長1千が御殿へ
攻勢をかける。これを日根野兄弟にて迎撃。

本丸を奇襲できる鼻高洞付近に陣する木下
秀吉は迂回して大手門の攻撃へと合流…。
わずか5百では、やはり厳しいと見たのか?

それにしても早すぎる秀吉の動きは城側の

乱発隊に早々に感知され、本丸への奇襲

または搦手方面から攻撃される恐れが薄く

なった斎藤軍にとっては大手口と御殿方面

に防衛力を集中させることができた…。

それが後々には大勢に影響を与えてしまう
ことになるのか、それとも?…(--;)



序盤から兵力で勝り、旺盛な士気のもとで
両方面とも織田軍による攻勢が続いた…。

午後に入っても、御殿への織田軍の攻撃は
激しく続き、池田勢2千も参戦しての猛攻で
御殿を陥落させる勢いをみせる。

また、織田軍の主攻勢で大手門へと向かう
七曲り道とは別の登山道で、大手口を経て

山頂へ登る百曲り道も激戦が展開された。

織田軍の佐々成政1千に対して牧村牛之助
7百50が迎撃し、激しい消耗戦の末に主将
佐々成政が討ち死にしたが、福富が部隊を
引き継ぎ、斎藤軍の牧村隊をわずか70人で
撤退させた…。

ついに大手門も破られたが、大手口は丸茂
長住,長隆が防戦を続け、長井道利も増援し
互角の展開のまま推移していく…。

一方で、織田軍の木下秀長,池田恒興両勢の
合わせて3千もの兵力で激しい攻勢を受ける
城下町に近い山麓にあって稲葉山城の本丸
耐久値446を上回る耐久値552を誇る御殿は
風前の灯になりつつあった…(--;)

斎藤軍は長井道利を大手口から急きょ駆け
つけさせて、さらに本陣の斎藤九郎,稲葉,
弓の名手大島光義までもを、その御殿への
防衛に回す必死の防戦を試みていた…。

だが、いかんせん衆寡敵せず、ついに総員
退却の命令が発せられた…御殿陥落す‥;

日が傾きかけたばかりの頃のことである。


…その頃の稲葉山城の本丸では…、



~( ^ω^)閑話休題~:

斎藤九郎
「…やむをえまい、このままでは御殿は
 守りきれない‥。」

龍興 
「おお、皆のもの、無事で何よりじゃ~
 せっかく集まったのだから、
 皆で酒でも飲もうかのぉ~‥」

(--;)一同無視して…、

丸茂長隆
「大手口は撤退せずとも守れたものを‥」

丸茂長住
「いや、大手口を守れても御殿が陥れば
 遅かれ早かれ退却だろう‥」

日根野弘就
「すまぬ。あの猛攻では平地の御殿では
 無理だった‥;」

日根野重之
「謝ることなどないであろう‥長井殿が
 もう少し支えてくれていれば(御殿も)
 守れたものを‥」

龍興
「おお‥、叔父卿は死んだのか?
  おお‥、可哀そうじゃのぉ~‥」

斎藤九郎

「もう過ぎたことを話している時間など
 ない。で、早速だが…」

…こんな話し合いがあったか、どうか…
(--;)…

果たして斎藤軍は半数以上を失い、残る
兵力2千2百42人…。


ところで、ここまでの経過をまとめると…、
 

その前に、稲葉山城(現近郊図)より…

下記の地図は、向きが逆になっているが、

左が大垣方面、下が尾張の国(愛知県)

▽織田軍(青枠)は開戦前には瑞竜寺山

から相場山、上加納山の各砦を制圧済。


…斎藤軍は当初の防衛作戦計画では積極
防衛の態勢から御殿(丸山)方面からの反転

攻勢を期し、長井隊を回す予定だったが…、

まず、最初の誤算としては、敵主攻勢の
大手門方面は想定通りではあるものの、
想定外だったのは攻城側の圧力が強く、

大手門(耐久284)に猛将で聞こえる丸茂

兄弟をいれて専守に努めるも意外と脆く、

逆に2隊とも大手門に籠もらせたことから

狭くて混乱をきたしてしまったこと。

さらに、百曲り道に牧村隊を布陣し迎撃
に向かわせてしまったため、戦力の分散
を招いてしまい、長井隊を早々に大手口
防衛に派遣することになってしまった。

そして、これが大きな誤算になった点で
御殿(丸山)方面への攻城に木下秀長隊だけ

でなく、池田恒興隊2千もの戦力も増援で

侵攻をしてきたことだった。

しかも、御殿は耐久値552を誇ることから
長井隊の加勢により逆に反転攻勢を期待
したのだが、大手門以上に脆かった・・;

その甘い期待を含み、急きょ大手口から
駆けつけさせた長井隊が疲労から士気が
落ちて、主将たる重臣 長井道利が早々に

討ち死に、部隊も壊滅をしてしまった。


よもやの御殿も陥落の憂き目に遭った。

半減した戦力で果たして守りきれるのか、
どうか…厳しい戦いになりつつあった…


~攻城戦の続き~
兵力で勝る織田軍の前に、大手門は突破
され、さらに斎藤軍主力で御殿の防衛に
あたっていた長井道利が早々と討ち死に
する痛手を被った斎藤軍は、大手口から
煙硝曲輪も放棄する形で撤退を決意…。

七間曲輪に兵力を集中させて最終防衛線
とした。



これに対して、突然の戦線縮小で意表を
つかれ、早朝からの攻勢で士気も落ちて

きていた織田軍の諸部隊は大手口を制圧

するのは時間の問題になりつつあったの

だが、疲労の度合いが濃くなっていた…。

迂回して七間曲輪の側面を衝こうとして
釜ヶ洞砦へと向かった織田軍の福富隊が
兵力の分散を招き、孤軍奮闘する丸茂隊
に撃退されると旗色は守る斎藤方に傾く。

また、
御殿を陥落させて、隣接する丸山砦をも
制圧し占領した織田軍の木下,池田両勢
だったが、斎藤軍が丸山の防衛を放棄し

本丸下に退却すると、追撃せずに無人の

丸山を攻撃しなかったのである・・;?

さらに、

馬ノ背道からの進攻もせず、搦手方面の

長良川沿いにも進まずに、逐次百曲り道

から大手門方面へと移動を強行した・・;

これでは、

士気の回復も出来ずに戦闘力の低下を

招く事態に陥るという愚策に転じていた。

疲労の色が濃くなった織田軍は制圧した
煙硝曲輪から動けずに、逆に御殿陥落に
より本丸下に退いた日根野兄弟の部隊も
加勢した七間曲輪から間断なく降り注ぐ
斎藤軍による弓や鉄砲の前に体力・士気
共に低下していく状態に陥っていった…。

一方で

織田軍の攻勢が止まった隙をついて、

斎藤軍本陣の斎藤九郎率いる2百の槍兵

にて、なぜか無人の御殿と丸山砦を奪回

する快挙を果たす。

その後も斎藤九郎隊は大胆にも城下町を
抜けて瑞竜寺山の西側で織田方の砦の

稲荷山,伊奈波山両砦を占領するという

奇策を成功させる(無人だったが・・;)



この意表をついた斎藤軍の奇策に対して
それでも織田軍は本陣の信長2千5百と

佐久間信盛2千は動かずに死兵と化した

ままだった…。

結局、織田軍からは池田,柴田両隊が、

この斎藤九郎隊に対して散発的に迎撃
するものの伊奈波山砦に籠もって弓に
変じた斎藤九郎隊の前に被害が増えて

いくだけになっていた…。



八月十六日 夕方から夜にかけて大手門
を斎藤軍が奪回、織田軍の福富隊を壊滅
させて、これが事実上の終戦となった。

斎藤軍1,211人、織田軍5,061人が残って、
八月十七日へと日付は変わり、ひと時の
平和が訪れるのだった…。

ほんのひとときの安らぎであろうが‥。



斎藤龍興軍による稲葉山城の防衛成功

で幕を閉じたのだった‥。

>以下、加筆文章追記

…防衛(山城)側の辛勝に終わったことで

これ以後も続く’戦乱’の世の時代の流れ

の中で、山城の防衛的価値も再現される

ことになったと言えよう…。

 

山の上の城の防御力と戦略的な価値が、

’最強の盾’(石垣:穴太衆)と、’至高の矛’

(鉄砲:国友村)の進化洗練により相対的

に低下していくことになる…。

 

史実でも、いわゆる”関ケ原の戦い”の

前哨戦”岐阜城の戦い”における籠城戦

で、たった1日で難攻不落と謳われた

岐阜城が陥落するという衝撃的な結果

からも顕著と言えよう…。

 

この戦いは、攻める東軍の池田輝政が

岐阜城の地勢や縄張りに詳しいことや

守る側の西軍の城主織田秀信軍が小勢

にも関わらず、果敢(無謀)にも討って

出て、無駄に兵を減らし敗戦で士気を

下げたうえに籠城しても兵力分散する

など、”人”の問題も大きかったのだが

しかし、やはり’鉄砲’の登場によって

山城は城塞として防衛力の面では逐次

低下していったと思われる…。

 

…かつて難攻不落と謳われた斎藤道三

の時代の実績もある岐阜城(稲葉山城)

であろうとも時代の流れには逆らえず

歴史に名を残すことになった…。

 

まるで、ガンダムの1年戦争における

ジオン軍の要塞”ソロモン”と似ている。

要塞が難攻不落を誇れたのは大艦巨砲

主義の時代であればこそ、だった…。

 

ジオン軍は自らのモビルスーツの開発

により、期せずしてそれが絶大な戦力

を発揮したことで敵連邦軍に模倣され、

物量攻勢によって、やはり わずか1日

で陥落の憂き目に遭ってしまった…。

時代の流れ、特に戦争による’進化’は

加速度が増幅し、このような戦略戦術

的な優位性をも淘汰していってしまう、

同じことは太平洋戦争時の零戦により

自ら戦争を変えた大日本帝国海軍にも

言えることだろう……歴史は巡る…


:PS(プレイステーション)ソフト

「戦乱」(エンジェル)
引用:公式マニュアル (株)勁文社 発売

再現『稲葉山城の戦い』を終えて…
《総評》
…結果として、斎藤龍興軍は稲葉山城を

守り抜くことは出来たが、なぜか佐久間

信盛と信長本陣が動かなかっただけ。

乱戦になっては数的優位性が城側防御力

を上回ってしまい、あっという間に戦力

が半減したことからも明らかだった。

まとめ:
*砦の耐久力は、さほどでもないこと。

*砦内での部隊の'配置’は効果ある。

*各武将の戦力値も、さほどでもない。

*疲労度である士気が重要になる。

*編成により部隊将への配分を増やし、
壊滅を避けるため同部隊内へ部隊長
クラスを1人以上、必ず配備しておく。

…「戦乱」というゲームは、PCから

の移植であり、この家庭用のゲーム機

への移植作は、操作性の面からも成功

と言える。音楽効果音も’味’がある^^

いわゆる‘戦場の霧’=視覚効果も表現

されていて、乱発隊や偵察警戒任務用

に荷駄隊の活用も重要である…。

 

さらに時間と天候も刻々と変わるので

影響したり、その地形も、例えば道路

は早く進軍可能で疲労度にも反映する。

 

高低差も(多少)反映されていること、

部隊の士気も重要であり、完成度の

高い歴史SLGと言えるだろう^^v