2022 クリスマスに。 | おいしいごはんと、そらの日々。

2022 クリスマスに。

家庭のお料理っていうのはプロじゃなくって、

まったくお料理だけに集中していない。

で、そこが、それこそがいいと思うんですよね。

 

鶏に下味をつけてから焼くまで

家の中でいちばん寒い、

北側の部屋に置いておくのですが、鶏を置きに行くと

なんだか部屋の隅っこの汚れが気になって

ほこりキャッチミトンを持ってきて

床に這って掃除を始めたりする。

掃除機も持ってきてかけたりして、

気が済んだらまたお料理の下拵えに戻るー。

 

ベストのタイミングとか、

そんなことに構ってられないことも多いけど

それでいいのですよね、家庭料理って。

 

 おなかに詰めるごはん完成。

 

 あとはオーヴンへー。

 

不器用なかあさんが明け方までかかって作った

手作り感満載ガーンのアドベントカレンダーも、今朝で終了。

 

Thanksgivingを祝い、クリスマスにはサンタが来、

お正月にはお年玉をもらいおせちを食べるー

わが家のこども達がそんな日々を過ごせるのは

”ただラッキーなだけ”。

 

お世話になっている病児保育・フローレンスの駒崎弘樹さんは

ご自分の息子さんの成長に寄せて、

こんなふうに書いていらっしゃいました。

 

”ただ、うちの息子はたまたま夫婦共働きの、

たまたま一定の教育・所得水準で、

たまたま暴力を振るわない家に産まれてきたことで、特に何かを諦めることなく生きられているに過ぎない、

という現実も、一方であります。

 

もし母親の妊娠が予期せぬものであり、

彼氏はバックれて孤立に追い込まれていたら。

親が1人で頑張って育てているけど、

非正規で経済的に安定しない中、病気になってしまったら。

たとえ父母が揃っていたとしても、

父親が母親に恒常的に暴力を振るっていたとしたら。

そしてDVで追い詰められた母親から虐待を受けていたとしたら。

彼の人生は、今の彼の人生が持つ選択肢も自由も機会も、

持ち得てはいなかったでしょう。

これは単なる確率の問題で。

(中略)

子どもは産まれてくる親も家庭も選べない。

厳しい環境に親が追い詰められて虐待的だったら、

もうそこから人生をスタートせざるを得ない。

それってどうなの?

「人生なんて、そんなもん。昔からそうだろ」

と達観するのは簡単。

でもそんな達観なんて、犬に食わせろ、と思う。

僕はそのクソみたいに不条理で不平等な社会を、

少しでもマシにして、子どもたちの世代に引き継ぎたいです。

それこそが、この子に対する、真のプレゼントになるんじゃ無いか。

そう思ってる。いや、そう信じています。”

 

というわけで、

今年のふるさと納税は、渋谷区の

「こどもの虐待をなくすプロジェクト」に寄付しました。

 

 

 

まだふるさと納税枠が残っているかた、

どうぞご検討ください。

返礼品も、まい泉やイル・キャンティのお食事券など

いろいろありますよひらめき