Herkese merhaba!!
オスマン帝国外伝ファンの皆さま、今日はキョセム妃の妹や、子供についてご紹介します。
※オスマン帝国外伝キョセム
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まずはキョセムの妹について。
ドラマではサフィエがアフメト1世をじわじわ殺すために、ある女性をトプカプ宮殿のハレムに送り込みます。
見事アフメト1世のお気に入り(gözde)となったこの女性は、アフメト1世の薬に毒を入れることに成功しますが……
しかし、なんとこの女性はキョセムの実の妹である、とサフィエがキョセムに暴露。
サフィエばーちゃん怖すぎるーー!!!
というのがドラマでしたが、キョセムの父も、キョセムの妹も、オスマン帝国に来た、という事実はなく、これはドラマの中でだけの話です。
ホッ…
つづいてキョセムの子供について。
わかっているだけでも、キョセムにはアフメト1世との間に5人の息子、4人の娘がいました。
メフメト皇子
ドラマではキョセムが最初に産んだ子でしたが、実際はキョセムの子か?マフフィルズの子か?わかっていないみたいです。
1605年に生まれ、兄のオスマン(2世)と一緒に教育を受けました。
兄が王位につくと、「オレがポーランドに遠征いくときに帝都にスルタンが不在になる。そのときに反逆されて弟にスルタンになられたら困る。」となり、ケマレッディン・エフェンディ(イスラムの法官)の許可を得て、メフメトは処刑されました。
ムラト4世
ムスタファの2回目の治世の後にスルタンになりました。ムラト4世についてはまた書きます。
スレイマン皇子
兄のムラト4世により、1635年アルメニアのエレヴァン(レヴァン)遠征のとき処刑されました。
このとき、マフフィルズ妃の子 バヤジットも一緒に処刑されました。
カスム皇子
兄のスレイマン皇子は、ムラト4世のレヴァン遠征のときに殺されましたが、
カスム皇子はバグダット遠征のときに処刑されました。カシムと書かれていることもありますが、トルコ語は”Kasım”です。
イブラヒム
ムラト4世の治世のあと、スルタンになりました。デリ(deli)つまり、狂人とあだ名される皇帝です。彼についてはまた別の記事で。
皇女は4人いました。
ゲヴヘルハン・スルタン
セリム2世の娘から名前をもらった子。オスマン帝国の皇女は政略結婚させられるのが運命ですが、1612年、彼女は7歳の時にオクズ・カラ・メフメト・パシャと結婚させられました。
結婚式は旧宮殿で行われて、スレイマン大帝の時代に活躍した大宰相イブラヒムの邸宅が、住居として贈られました。
二度目の結婚ではトパル・レジェプ・パシャと。ムラト4世(彼女の弟)がスルタンのとき、この夫は大宰相となります。キョセムの権力が丸出し。笑
アイシェ・スルタン
ファトマ・スルタン
ハンザーデ・スルタン
彼女たちも幼くして(3歳とかで)政略結婚させられ、アイシェとファトマは生涯6〜7回も結婚を繰り返しました。
皇女を誰と結婚されるかの決定権はスルタンや母后(valide)にあるので、皇女は反対できる立場にはなく……
これはオスマン帝国のハレムにおける母后が自らの権利を思うままにすべく利用していた政略です。(特にヌルバーヌからキョセムの時代。スルタンが幼かったので実質的にはスルタンの母が権力を奮っていた)
キョセムの皇女たちの、特に有名な政略結婚相手は、
アイシェの最初の結婚相手ナスフ・パシャ、
ファトマの結婚相手カラ・ムスタファ・パシャ、
ハンザーデの結婚相手バイラム・パシャです。
Zon.
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