Herkese merhaba!!
8月からオスマン帝国外伝の続編キョセムが日本でも放送スタートということで、最近はその時代周辺のブログが多いですが…
※新オスマン帝国外伝
キョセム シーズン1
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続編のドラマの最初で気になるのはメフメト3世の死因ではないでしょうか。
メフメト3世とは、ムラト3世とサフィエ・スルタンとの間に生まれた息子。
メフメト3世
よく食べるぽっちゃりスルタンだったようです。そして死因は、暴飲暴食とも、実の息子マフムトを殺してしまったことに対する罪悪感から来るストレスとも言われています。
なんでマフムトを殺したの???と思うかもしれませんが、これはサフィエ・ヴァリデ・スルタンの陰謀であったとも言われています。
でたーハレムの陰謀!!
以下、メフメト3世のお話。
(ネタバレに注意)
1566年、スレイマンが亡くなった年、メフメトはマニサで生まれます。
1595年に父のムラト3世が亡くなると、メフメト3世として即位。オスマン帝国13代目のスルタンです。
オスマン帝国の習慣で、メフメトの男兄弟は全員処刑。19人(22人とも)の棺が宮殿から運ばれ続ける様子を見たイスタンブールの人たちは、悲しみに暮れたそうです。そりゃぁねぇ……
祖父のセリム2世、そして父のムラト3世に似てしまったのか、メフメト3世もポンコツスルタンだったようで、国のことは母のサフィエ・スルタンや宰相にお任せだったようです。
ムラト3世の時代に続いて、
西のハプスブルク家との戦争、東のサファヴィー朝との対立は目が離せないものでしたが、
それよりもメフメト3世を悩ませたのは帝国内での反乱でした。
封土を奪われたシパーヒーや、土地を奪われた農民や遊牧民、貧困に陥った神学校の学生たちによるジェラーリーの反乱がアナトリアで起きたり
帝都イスタンブールでは大宰相VSイスラム長老による騒擾が度々起きていました。
この騒擾にはイェニチェリや常備騎兵も加わり、暴動となっていました。
このジェラーリーの反乱やイスタンブールでの騒擾を抑えるための軍隊をオレに任せてくれ!とメフメト3世にお願いしたのが、息子のマフムト皇子だったのです。
メフメト3世は「もし息子に軍隊を預けて、反乱や騒擾がうまく収まったらどうなる?きっとオレさまを廃位して、マフムトがスルタンとして即位するんじゃないのか!?」
と疑ったそうです。
また↑これはメフメト3世が疑った内容ではなく、母サフィエによるただの脅しだったという説もあります。
この騒擾の背後にはマフムトがいるわよ。と。
ヴァリデ・スルタン、怖し。
またそれとは別の説では、「常備騎兵がスルタンの廃位をほのめかしている、その背後にはマフムトがいる」という情報がメフメト3世の耳に入ったとも言われています。これもサフィエの作戦かも。
結局、マフムト皇子は1603年に投獄され絞殺されました。
同じ年に、メフメト3世も亡くなりました。原因はさて、マフムトを処刑した罪悪感か?暴飲暴食か?
そんなこんなでメフメト3世の治世は終わり、次のアフメト1世に入りますが、
メフメト3世はぽっちゃりスルタンで遠征にも行けなかったので、長子マフムトに期待する者が多かったのは事実だそうです。
確かに横に広いね、メフメト3世。
しかしドラマでは、えっアンタが????って人がメフメト3世を殺した、という設定で描かれています。お楽しみに。
つづく
Zon.
新オスマン帝国外伝キョセムシーズン1
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