「人間関係は、鷹が急降下してネズミをくわえるように、突然、降ってわいてくるものではない。海に漂うあなたにボートが近づいてくるように、どこからともなく登場するわけでもない。手を伸ばして梯子をつかみ、自分で登っていくのだ。最初の一歩は、えてして思いもつかないかたちになる。」

[引用元]
『POWERS OF TWO 二人で一人の天才』
著者名:ジョシュア・ウルフ・シェンク【著】/矢羽野薫【訳】
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-08-EK-0420654



 どうもぞにきです。

 今回の記事においては、将棋における「人脈」について話していきたいと思います。



 私は、割と将棋界の交友関係広いですねと言われたりします。

 プロ棋士や女流棋士といったところは全然関わりはないんですけど

YouTubeの将棋界の方々であったり、東京近辺の将棋を指せるバーやカフェといったところの方といったところで割と知り合いがいるのは確かです。

 あと、そういった場で自分のハンドルネームを明かすと、結構な確率で、Twitterで見たことありますという感じのリアクションが返ってくるので、コミュニケーションが取りやすいというのはあります。

 そういったこともあるので、自然と将棋関係の知り合いが多くなってきたという感覚は確かにあります。



 ネットの方では特に顕著なんですけれども、めっちゃ強くてもフレンドリーに接してくれる方とかが多くいらっしゃるんですよね。

 自分でライブしていても将棋倶楽部24で七段の方とかが普通に遊びに来て下さったりするので、不思議な世界なんですよね。



 ただ、ここに若干の落とし穴があって、

なんか俺すごい人と付き合っているなぁ感からの、

俺ってすごくない?感が出てくるんですよね。



すごい方とコミュニケーション取るのって自分にとって大変刺激になりますし、楽しいことだと思います。

ただ、それに慣れてしまうとどうなるのかというと・・・



昨日、○○さんとツイキャスでコラボしてー、めっちゃ○○だったんだよねー。



みたいな感じで自慢話を人にしたりして。



何というか、自分を高めるとかそういったことはせずに、単純接触回数の数オンリーで親しい感じになって、

それがあたかも、自分がすごい人であるかのような錯覚に到ってしまうわけです。



しかし、そういう関係って一方的に親しくなっているつもりでも実は相手からは親しいと思われていない可能性があります。



「友情は約50%の確率でしか相互でないことが、マサチューセッツ工科大学の研究からわかりました」

【引用元】
「衝撃!友達だと思っているのは自分だけかもしれない…。」
cosmopolitan
https://www.cosmopolitan.com/jp/trends/trend-news/news/a2899/only-50-of-friendships-is-actually-mutual/



というふうに、自分が友人だと思っていても半分の確率で相手から友人だと思われていないというデータがあるのです。



こういった落とし穴に嵌っている人への更なる打撃の一着。

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メンタリストDaiGo  @Mentalist_DaiGo  
自信がない、自分に能力がないと思っている人ほど、勝者とのつながりを自慢したがる。俺は人脈がある、と言っている人が大したことがないのはこのため。
19:01 - 2015年1月27日
https://twitter.com/Mentalist_DaiGo/status/560014656107204609
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正直に言いましょう。



私自身が、そうだった時期があります。



なんだか自身のYouTubeのチャンネル拡大も何だか面倒な作業だし、現状でもいろんなすごい方と絡んでもらえるから満足だなぁみたいな。



すごい方と接すること自体が楽しくて、自分の自尊心を高めてくれていたんですね。



でも、そのことによって、努力をして、人に何か良い影響を与えようとかそういう意識が薄れてしまったんですね。



自分は、「勝者とのつながりを自慢したがる大したことがない人間」である。



DaiGo氏の動画を見て、そんなやつたまに居ますよねーって言われて、笑えなかった時に気付いたんですよね。



何だか自分の愚かさが恥ずかしくなったので、そういったきっかけを境に、情報に対して受動的になるのではなく、積極的に情報を発信していこうというふうに意識を切り替えました。



それから、クソリプとかやめましたね(笑)



どんな情報が人に興味を持ってもらえ、どのように発信したら多くの人の目に留まるのかといったことを研究しました。

YouTubeやTwitterを相当、研究しました。

YouTubeには、チャンネルアナリティクスというものがありますし、Twitterにはツイートアクティビティというものがあり、それぞれどのくらい、どのようにして人がその情報にアクセスしたかということを知ることができます。

そういうことを研究することと、様々な媒体からの情報収集、そして情報を分かりやすく編集することによって、少しでも人に何かを与えられる人間になれるのではないかと思いました。



やはり将棋は、棋力が一番の影響力です。

その中において、私に何ができるかを考えた時、そういった手段に辿り着いたわけです。



その結果、たまにツイッターで軽くバズったりすることで、タイムラインで見かけたことありますと言われたり、あの動画見ましたといったことが多くなったのだと思います。



人に何かを与えてもらいたければ、何かを与えられる人間にならないといけないということだと思います。



人脈に関して、別の切り口から。



こんな記事がありました。

【参考記事】
「林修・人脈なんて言葉を使っているやつはクソ!」
MBS
https://www.mbs.jp/mbs-column/mimi/archive/2018/11/16/014841.shtml



人脈の作り方には、「ルフィ型」と「ケンシロウ型」があるという話です。


○ルフィ型・・・仲間に入れたい人が現れた時に損得なく声をかける。仲間というものを大事にして、どんな人とも損得ではなく一緒にやっていこうとする。結果それが仕事につながっていくという生き方

○ケンシロウ型・・・仲間は必要とせず、たったひとりで戦っていく。ひとりで考え内面を高め、堂々たるひとりになってやっていく。その姿を見て一緒にやりましょうという人が現れたら拒まないが、基本はひとりで戦っていくという生き方



 林修氏は、「僕は100%こっちのタイプ(ケンシロウ型)」とおっしゃったそうです。



 どちらの生き方もあると思います。



 私は、どちらも選びたい欲張りな人間です。

 一度、仲間になった人とは、損得の関係なしに一緒にやっていきたいと思いますし、一方で堂々たるひとりになってやっていき、その姿を見て一緒にやりましょうという人が現われたら拒まない。

 こういうスタンスかなと思います。

 いずれにせよ、繰り返しになりますが、

 人に何かを与えてもらいたければ、何かを与えられる人間にならないといけないということだと思います。



 冒頭の言葉に戻ります。

 「人間関係は、鷹が急降下してネズミをくわえるように、突然、降ってわいてくるものではない。海に漂うあなたにボートが近づいてくるように、どこからともなく登場するわけでもない。手を伸ばして梯子をつかみ、自分で登っていくのだ。最初の一歩は、えてして思いもつかないかたちになる。」



 手を伸ばして梯子をつかみ、自分で登っていかねばならないのです