10年前、備忘録で書いておこうと思っていたけど
自分のブログテーマとは違うのでやめた。
あのとき書かなかったけど、あの日自分がどう過ごしたか、はっきり覚えている。


2011年3月11日(金)東京はくもり。まだ寒い。
金曜なので、なんとなくスカートにパンプスを履いてきた。
予定は特にないのだけど。


午後の仕事中、大きな揺れ。
都心のビルの19階。ただごとではない雰囲気。
男性社員がとっさに壁に備え付けられたキャビネットの中身が飛び出してこないよう、手で押さえる。
皆、学校のときに習った机の下に身を隠す体制に自然となる。


部屋にあるテレビが詳細を報じる。
とりあえずトイレに行っておく。水が止まってしまったら困るから。
トイレで会った、隣の部署の管理職の女性と「怖いですね」と立ち話。


さて私は明日からソウルに行く予定で
週明け月火も有給休暇を申請している。
これ行けるのかな。旅行会社からは何の連絡もない。
同行の友達から電話が来ていたので折り返そうとするも、
電話がなかなかつながらない。


ニュースが津波の様子を生中継で報じてきた。
今実際に起きているものとは到底思えない、信じられない映像。


オフィスは高台にたっており、かなり遠くまで見渡せた。
お台場か千葉の方で、煙があがっているのが見えた。


ニュースは事実は伝えていたけど、生の声が聞こえてこなかったので
ニュース映像を見ながら実況していたニコ動に切り替えた。


さあ、どうやってベッドタウンにある自宅に帰ろうか。
電車が止まってしまっているので、会社に泊まるしかないのか。
道路も大渋滞なので、タクシー等車をアテにするのは無理だし。
JRは早々に運休が決まり、メトロも時間の問題のようだった。
「いつ帰れるかわからないから、とりあえず夕飯食べておこう」
と職場の方に誘われて、社食でカレーを食べた。
ああいうとき、あまり食欲がわかないものだ。のどを通らない。
ただ社食が営業している会社で良かった。


都内に住む先輩が、帰れないならうちに泊まるかと誘ってくれた。
旦那さんが途中まで迎えに来てくれるという。
即答できなかったけど、夜9時ごろにもう帰れないかもと思って「お願いします」と言った。
その矢先にメトロが動き出した。先輩はすでにスマホを持っていて、

ガラケーの私より情報が早い。スマホいいな。私もほしい。


銀座線に乗って、青山一丁目で大江戸線に乗り換え。
乗換駅でも小1時間待ったような。当然ホームも車内も大混雑。
でもパニックになることなく、皆協力しながらぎゅうぎゅう詰めになっていた。

まじでやばい時って、案外我儘言う人いないのかも。
幸い、私の家に帰れる路線も動き出し、先輩とは新宿で別れた。
早々に泊めると言ってくれたこと、ありがたかった。


新宿。
夜12時近くになってもにぎわっているのは普段どおりの街だけど、
今夜は駅のホームに向かって、乗車待ちの長蛇の列ができている。
私もひとり、列の後方に並ぶ。寒い。
こんなに立ちっぱなしの1日になるのなら、
スカートにパンプスなんて履いてくるんじゃなかった。


12時過ぎ、ようやく電車に乗れた。
駅に入りきらないくらいすごい人だったけど、
電車って結構人が乗れるんだな。
終点まで行く私は途中で座れた。向かいにおばあさんがひとり座っていた。
自宅に到着したのは2時半だった。


翌日土曜日。
友達と夜便でソウルに行く予定があり
何度も予約したサイトや運行状況を見ても、出航予定には変わりなし。
返金されないのも嫌だから、とりあえず成田にいくべと
午前中には家を出る。
京成線ものろのろ運転で、成田までたぶん3-4時間かかった。
やっとの思いで空港に到着すると、欠航により出国できなくなった外国人が多数いたようで、

まるで避難所のように床で寝泊りしていて、異様な雰囲気だった。


その後、出発2時間前くらいになって、我々が搭乗予定の便も欠航に。
払戻の対象になったを確認できたので、空港をあとにした。
また数時間かけて来た道を戻り、池袋に着いたころ「腹が減った」と友達と駅前の日高屋で夕食。
あのときも、その後にやってきたパンデミック期のように
休業しているお店がほとんどで、そんななか日高屋は営業していた。


月曜と火曜は、旅行には行けなくなったけど
電車も動いていないのでそのまま有給休暇。


水曜はいつもとは違う路線で、時間はかかったものの出勤できたけど
帰り道、計画停電のため
地元の街はひとつの灯りもなく、真っ暗闇になっていた。
それはとても不気味で、年増ではあるけど女性の身としてはおそろしかったので
どうせ電車が運休しているのだから、と
暗くて入り組んだ道を通らず、自宅までの近道となる線路を100m程度歩かせてもらった。

本当は線路内に立ち入るのって犯罪なんだよね。
でもこんなときくらい許して。スタンドバイミー。

 


家に帰っても真っ暗ですることなし。

懐中電灯のわずかな灯りで簡単に夕食を済ませ寝る。お風呂も入れない。


木曜も夜は計画停電にあたる。
家が近所の友達と、計画停電の対象となっていない
隣町にある日帰り温泉施設までお風呂に入りに行った。
照明が一部消されているので、薄暗いレストランでの夕食になったけど

こんなときに友達と話せて、少し不安な気持ちを発散できた。


以上が私の10年前のできごと。