竹田神社(奈良県橿原市)
カスガ殿ヰヂチが勤めていたアスカの守ですが、老齢のために辞す時、後任としてアスカに宮を置いたのはクシタマホノアカリ、東北にいたオシホミミの長男でした。時のアマカミオシホミミ御自らの推薦でした。
そして十種神宝を拝受して、900名近い大団体を引き連れて、ヒタカミから伊豆へ、伊豆からイワクスフネに乗り継ぎ、空みつ大和の国に降り立ちました。
しかし、当初の場が気に入らないと一年で宮移しをし、諫言したアマノコヤネと大モノヌシ(クシヒコ)は大臣の座を退きました。
ホノアカリには子がなく、一旦は臣のカゴヤマの子タカクラシタを養子にするが、妃がこれを追い出したために結局は子がないままに死を迎えます。
ホノアカリの事績は、香久山を築山したことです。川もつくり周囲に田を為したことでした。ですから晩年はカグヤマ宮と呼ばれました。
だから、香久山の北5キロほどの場所に、ホノアカリを祀る竹田神社を発見し「おお!」となったのです。