竹田神社(奈良県橿原市)976、977 | 神様と暮らす家そだて

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神社  竹田神社(奈良県橿原市)
 
カスガ殿ヰヂチが勤めていたアスカの守ですが、老齢のために辞す時、後任としてアスカに宮を置いたのはクシタマホノアカリ、東北にいたオシホミミの長男でした。時のアマカミオシホミミ御自らの推薦でした。
そして十種神宝を拝受して、900名近い大団体を引き連れて、ヒタカミから伊豆へ、伊豆からイワクスフネに乗り継ぎ、空みつ大和の国に降り立ちました。
しかし、当初の場が気に入らないと一年で宮移しをし、諫言したアマノコヤネと大モノヌシ(クシヒコ)は大臣の座を退きました。
 
ホノアカリには子がなく、一旦は臣のカゴヤマの子タカクラシタを養子にするが、妃がこれを追い出したために結局は子がないままに死を迎えます。
 
ホノアカリの事績は、香久山を築山したことです。川もつくり周囲に田を為したことでした。ですから晩年はカグヤマ宮と呼ばれました。
だから、香久山の北5キロほどの場所に、ホノアカリを祀る竹田神社を発見し「おお!」となったのです。
 

 
 
竹田神社。976番目  南向きに建っているのが大日堂。
祭神 天香久山命
 
ご祭神はクシタマホノアカリ(天火明命)のことです。
それを祀る竹田川辺連の祖はタケダオリと言います。
 
ホノアカリを影の継ぎ手タカクラシタの曾孫であるヒメが5代孝昭天皇の内宮になり、その兄オキツヨソは臣となりました。孝昭天皇の孫にあたる孝霊天皇は、オキツヨソの子タケツツクサに跡継ぎがないために、関東を治めていたニニキネの曾孫タケトメを跡継ぎにもらい受けたのでした。その子がタケダオリです。
 
ホノアカリの祀りを途絶えさせない意志が感じられます。
 
本殿ともう一つ、赤塗のお社が見えています。
 
妙見。
 
ただ、遥拝所とあり何を遥拝しているのか?
東向きにお参りするわけですから、お伊勢さんでしょうか。
 
 
ホノアカリが亡くなってからアスカ宮の養子に入ることが決まったニギハヤヒは、しらにわむらにみ墓なして喪に服した後、十種を受け継ぎます。
カグヤマ宮ともよばれたアスカ宮はその時に移したのかもしれません。
 
ねじれた、そう太くはないこの木が妙に気になって。
 
 
 

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