ブログネタ:やめたいのに、やめられないものは? 参加中

中毒、依存症、強迫観念、 妄想、逃避機制、呼び方は色々あるが何らかの原因で止められない事の総称だ。普通の社会を営んでいる人だったら心当たりがあるはずだ。現代社会を生き抜いていくには沢山のストレスがある。問題やストレスに遭遇した時、その問題の大きさや壁の厚さを見極めて立ち向かったり、逃げ出したりするだろう。

問題に立ち向かいそれをブレーク・スルーできれば達成感や充実感を味わえる。しかし、起りうる問題は解決できる問題ばかりではなく、立ち向かう事も出来ず逃げ出したくなったり、立ち向かっても無い間の取り組みにより、心身共に疲れ果ててしまう事も考えられる。そういった時に発動される心の働きが適応機制と呼ばれる。

これは人間のの働きと密接に関係している。人が問題や課題を達成するために行動や手段を起こす事時に感じる心理的な働きを欲望・欲求と呼ぶ。欲望や欲求は心の働きと行動を決めるのに大きな役割を果たす。欲求は大きく分けて生理的・本能的心理・社会的な欲求の2つに分類されると考えられている。

生理的・本能的な欲求とは生物の生理的な欲求だったり、化学物質による直接的な欲求のような、体内機能や外部からの刺激により起りうる欲求の事だ。例えば食欲、性欲、排泄、呼吸と言った生に関係する欲求や煙草や麻薬による禁断症状的な欲求が考えられる。

一方、心理・社会的な欲求は、社会的な満足感を得る事に対する欲求と考えていいだろう。人は群居性の生物であり思考力を持つために他者を満足感を達成するといった欲求がある。欲求は、社会的な影響により後天的に身に付く物と言われている。例えば、物欲、虚栄心、劣等感、優越感等が考えられる。

他には、地位や名誉によって得られる満足感、他者から認知といった欲求、ストレス発散行為、美的な物や良いも物への欲求、見栄・所有欲も心理的・社会的な欲求だ。人間の心の動きに欲求があるのは理解できると思う。では欲求を満たすために人はどういう行動をとるのか?

欲求から派生する心の動きには葛藤があり、欲求を阻害するものとして障壁がある。そして葛藤障壁を晴らすために起こす行動の事を適応機制と呼び、「合理的機制」、「代償機制」、「防衛機制」、「逃避機制」、「攻撃機制」に分けられる。

心理学のブログではないから、これ以上これらの説明を押し進める事は避ける。欲求に対する個々の機制が行動として現れてくる事は中学や高校の保健の時間に学んだと思う。やめたいのにやめられないというのはやめたいという欲求とやめられないという個人的障壁に属する。そしてその障壁に対してどのように立ち向かっていくのか、という事が適応機制となる。

個人的な例をあげて考えてみる。やめたいけどやめられない物の一つに、「依存的なネット利用」がある。この障害は、1997年にイヴァン・ゴールドバーグ氏によって理論づけられた障害だ。この依存症はインターネットの欠如により臨床的に重篤な障害や苦痛に至る症状が発症する事だ。

欲求は、人との係わりを求める生理的・本能的な欲求でもあるし、ショッピングや社会的な認知を得るための心理・社会的な欲求でもある。インターネットに触れていないと不安を感じたり、ネットによって人との繋がりを求め現実社会から逃避するという事は既に「依存的なネット利用」が始まっているのかもしれない。

ブロガーさんの中にも心当たりの方がいれば注意して欲しい。ネットに飲み込まれ、依存するのではなく、ネット単なる媒体として使うように心がけてくれぐれも「ネット依存症」ならないようにしたい。

最後に、欲望についての研究は行われているが科学的根拠は十分に得られていない。研究成果として、低次な欲求は旧皮質の影響を受け、高次なものは新皮質の影響を受けるという事がわかっている。脳の活動をビジュアル化できればどんな欲求があるのかわかるようになるだろう。

また欲求のレベルは個人差があり対応する欲求の度合によって発達する脳の部位が異なり、新皮質分は後天的な学習によりニューロン・ネットワークを形成し発達するといった物がある。脳科学的には、このような研究が現在も進んでいる。
■個人的には「走る」、にも依存はありそうだ。走る事が現実社会からの「逃避機制」という風にも思える。
■Run 5Km, Swim 1Km, Bike 1Km リカバリのために再びプロテイン初めました。体質にあうプロテインがあるみたいです。明治製菓より森永乳業の方が体質に合っているようです。