忘れる=無関心になる
無関心になる=認識しない/意識しない
とまとめたが、
では認識しない/意識しないとはどーゆーことなのか。
もっとも簡単なのは
そもそも「知らない」ということだろう。
世界60億人がいる。
世界中のみんなが仲間だね!
と言われても
そもそもその99.99999%くらい?は知らない。
知らなければ認識するはずもないし、
興味もない。(無関心である。)
現在進行形で行われている
イスラエルとパレスチナの紛争に
多くの日本人がリアリティを感じず
心を痛めていないのも特段不思議なことではない。
それは無関心だからである。
ただ、決してその姿勢を支持しているのではない。
だが、「忘れたい」と思っている人にとって
その対象はすでに知られている。
そして一度認識し関心を持ったからこそ
忘れることに苦労しているのである。
さて、ではどーすれば忘れられるのか。
まず、「夢」を例に考えてみたい。
人は毎晩夢を見ていると聞いたことがある。
しかし、不思議なことにそのほとんどを覚えていない。
もしくは朝起きた時は覚えていたが、
朝食をとっていることにはもう忘れてしまっている。
よほど強烈なインパクトがない限り覚えていない。
ここに何かヒントがあるように感じられる。
「認識した」ことなのに、すぐに忘れている。
それはなぜか。
必要としていない
からだ。夢は、現実には役に立たない。
もちろん、夢分析や何かのinspireを得る
という観点で100%否定するつもりはない。
とにかく、人は生まれつき夢は必要ない
ものとして刷り込まれているのだろう。
したがって、一度認識した夢は短時間で
記憶から消え去っているのである。
とすれば、
必要ない
と判断されれば忘れられるのではないか。
ここでまた脱線する。
よく
「勉強する意味あるの?」
「こんなこと勉強して何の役に立つの?」
と子どもたちが言う。(むろん私自身も・・・)
しかし、実のところ
そーいってる子どもたちにとって
勉強は意味ないし、役に立たない。
これは子どもたちを否定しているわけではない。
何事もその人の意識次第であるということである。
例えば、友達と映画を見に行ったとする。
自分は涙が出るほど感動した。
しかし友達は見る意味なかったという。
このとき、
自分にとっては確かに見る価値はあった。
と同時に
友達にとっては確かに見る価値はなかった。
ということである。
現代はセンター試験に代表されるように
答え=1つ の環境で育ち、
また、その答えは「解答集」や「先生」によって
外部から得るものだという習慣が付いている。
したがって、
映画を観る前も何かほしいものを買う前も
事前にネットや雑誌や口コミを聴いてから
判断する。
そして、先ほどの例なら
自分は涙がでるほど感動しても
友達(外部)が見る価値ない
と言えば、んーやっぱ見る価値ないのかな?
と感じてしまうのである。
でも実際は
人それぞれの意識=答えである。
ゆえに、
勉強する意味がないと思ってる子どもたちに
とって勉強は確かに意味がないものなのである。
(つづく)