さて、前回は「愛情と無関心」について


児童虐待とネグレクトを例にとり考察した。


ここで本題に戻ると


「忘れる」とはどーゆーことか


どーすれば忘れられるのか。であった。


結論を述べれば、


忘れる=無関心になる


ということである。


つまり


物事を忘れるということは


その物事に無関心になるということである。


では無関心になるとはどーゆーことか。


いよいよ難しくなってきた。


その疑問に明確に答えることはできない。


しかし、


ネグレクトの例にあるように、


存在を認識しない


もしくは


意識しない


ということではないだろうか。


ここで注意しておきたい。


存在を否定する


のは


存在を認識しない


とは別の考え方である。


存在を否定するということは、


そこにそれが存在することを認めているからである。


存在することを認めているから


「私は」存在を認めない=否定する


と言っているのである。


つまり、


否定はその対象の存在を認めているからこそ


存在する考え方なのである。


私はAさんのことが嫌いだ。(Aさんを否定している)


これは


私の中に確かに「Aさん」という「存在」を認め、


そのうえで


「私は」Aさんなんて認めない。


と考えているのである。


そもそもAさんの存在を認めていないなら


Aさんって誰?


どーでもいい / 別に何も思わない


という考え方になるのではないだろうか。


まとめると、


忘れる=無関心になる


無関心になる=存在を認めない/意識しない


といったところだろうか。


(つづく)