前回、


「忘れようとすればするほど忘れられなくなる。」


というのは至極当たり前であるということを述べた。


では、


人は一生物事を忘れることはできないのだろうか。


私たちは感覚的にこの疑問に


「No」と答えることができるだろう。


なぜなら


実際にこれまで生きてきた中で得た記憶を


すべて覚えているわけではないからだ。


ではどーすれば忘れることができるのか。


忘れるとはどーゆーことなのかを考えてみたい。


そのことを読み解くキーワードとして


「無関心」を取り上げる。


さて、心理学の授業を受けているとき


「愛情の反対は何か。」


と教授が言った。


・・・


「憎しみ」?


と個人的に考えたが、


その教授の答えは


「無関心」


だった。


なるほどと思った。


現代の子育てに関する問題を考えればわかりやすい。


人間も動物も


程度の差はあれ


親は子に愛情を注いでいる。


その愛情が無償の愛か否かなど


細かいことは割愛する。


さて、しかし現代よく問題にされるのは


ネグレクト


である。


直訳すれば


「無視する」


すなわち育児放棄ということだ。


ここで「児童虐待」もあげられるが


児童虐待=憎しみ


ネグレクト=無関心


という簡略化した構図で考えてみたい。


児童虐待は決して許されることではない。


どんな理由があるにしろだ。


しかし、児童を虐待するということは


その親は


「自分にとって迷惑な存在」


「憎い存在・不要な存在」


として「認識」している。


ゆえに、


その認識に従って「暴力」を振るうのである。


つまり、


そこに「子ども」が存在することを


認めているのである。


しかし、ネグレクトはどうか。


育児放棄


すなわち、食事も与えない。一切の養育をしない。


ということは


そこに「子ども」が存在していることを認めていない。


つまり、自分の意識下に子どもはいない。


排除しているのだ。


前者も後者も決して認められる行為でないが、


生まれてきたことに感謝し愛情を注ぐことの


対岸に位置するのは、


そもそも生まれてきたことすら認識していない


ネグレクト/無関心ではないだろうか。


(つづく)