第10回の記事で、エドワード・スノーデンが国民監視システムの実態を暴露し、母国アメリカから香港に渡ったところまでお話ししました。
では、なぜ香港からロシアに亡命することになったのでしょうか?また、スノーデンは現在、ロシア国内でどのようにして生計を立て、暮らしているのでしょうか?
1. ロシアがスノーデンを受け入れた背景
アメリカで最も有名なお尋ね者の一人、告発者エドワード・スノーデンにとっては、国家安全保障局の秘密を暴露したあの日以来、安全に暮らすことのできる国はさほど多くはありません。
しかし少なくとも一時的に身を置く場所としては、ロシアは信頼できる賭けでした。
ワシントンと犯人引き渡し条約を結んでいないことに加え、スノーデンはロシアが援助を行う初めての異国から来た告発者ではなかったからです。
2001年(ウラジミール・プーチンの在任期間の最初の一年間)に、リチャード・トムリンソン(イギリスの秘密情報部”MI6”の前役員)は、秘密を暴くための伝記を発表するのを楽しみにしていました。
イギリス当局は必死でトムリンソンの暴露を阻止しようとしました。そして、トムリンソンが出版者に原稿を送った際に、公務上秘密を公開したことに対して懲役1年を宣告しました。
トムリンソンは、1997年に5か月間服役しました。しかし、彼の釈放後、ロシアのモスクワにあるあまり知られていない会社が彼の伝記を出版することに合意しました。それは、出版社がこれまでに公開した唯一の本でした。
“大きな違反”というタイトルで、イギリスの情報部(ムアマル・カダフィとスロボダン・ミロシェビッチのような外国のリーダーを殺す計画を含む)について、トムリンソンは、多くのきまりが悪いものを公表しました。
しかしながら、トムリンソンの出した本は、スノーデンの暴露がアメリカに与えた影響に比べると、イギリスの情報部はそれほど大きなダメージを受けませんでした。
最高機密文書をアメリカのガーディアン誌とワシントン・ポスト誌にリークすることで、米国諜報機関が何百万ものアメリカ国民を対象に長い間行ってきた大規模な監視とデータ集積プログラムを、スノーデンは公開しました。
過去にスノーデンについて私たちが取り上げた記事の中でも述べましたが、スノーデンはまず香港に向かいました。
その後、香港がアメリカと犯人引渡し条約を締結しましたが、司法省がスノーデンに国有財産のスパイ活動と窃盗の罪を正式に負わせた後も、彼は逃げ続けることに決めました。
スノーデンの罪は各々の窃盗につき最大懲役10年にも及びました。つまり、判決が下されると残りの人生を牢獄の中で過ごすことになります。
ロシア当局は、モスクワへ飛ぶというスノーデンの意向を前もって知らされていなかったことと、スノーデンが技術的にロシアの領域には決して入らなかったことを主張しました。
スノーデンは、モスクワにあるSheremetyevo空港で、入国審査を受けたのかは明白ではありません。
代わりに、スノーデンが亡命保護を求めたエクアドル当局は、彼に会うために国際線ターミナル内まで来ました。そこは、治外法権が認められるか否か、不確定な場所でした。
スノーデンは、キューバのハバナ行きのフライトを予約していました。これは、彼が予測された最終目的地に向かう途中の短期滞在であると考えられています。
しかし、モスクワのゲートで徹夜に耐え、この漏洩者を一目見たいと思い、飛行機に乗り込んだジャーナリストの集団は、スノーデンが不在の17A席を目にすることになりました。
この見逃されたフライトはスノーデンの現在の所在に謎を残しています。しかしながら、世界で最も有名な密告組織”WikiLeaks”はスノーデンの居所に関する手がかりを掴んでいるようです。
WikiLeaksの創始者であるジュリアン・アサンジはロンドンのエクアドル大使館で何ヶ月も逮捕から逃れていました。
そして、報道によると、アサンジのアシスタントが香港からモスクワへのフライトでスノーデンに付き添っていました。
アサンジは、数ヶ月にも及ぶ隔離の後、ロシアの国営ニュース・ネットワーク”RT”から必要な援助とテレビ番組に出演する機会を得ました。
ロシアの選択はスノーデンにとって、いくらか危険を伴いました。
国際的な武器密売で有罪となり、アメリカで禁固25年の判決を受け服役中のビクトール・ボートの兄弟であるセルゲイ・ボートは、スノーデンをアメリカに引き渡す代わりに、ビクトール・ボートの釈放を要求しました。
しかしながら、ロシア当局はセルゲイ・ボートの軽率な提案にいかなる支持も与えませんでした。その代わりに、ロシア当局はスノーデンを逮捕する根拠がないことを明示しました。
ロシアセキュリティサービスはスノーデンがいかなる国際的な罪にも問われないことを述べました。「彼は税関を通過していないので、公式には国境を越えたことにはならない。」
もしもスノーデンが境界を越えていたならば、状況は変わっていたでしょう。しかし、2013年の時点では一時的はあったにせよ、モスクワはこの告発者が少し休むのには十分に安全な場所であったようです。
では2016年現在、スノーデンを取り巻く状況はどのように変化したのでしょうか?見ていきましょう。
参考Webサイト(References)
Russian Hospitality: Why Snowden Picked Moscow as His Transit Point
http://world.time.com/2013/06/23/russian-hospitality-why-snowden-picked-moscow-as-his-transit-point/
Where Is Snowden Now? The Whistleblower Has A Unique Living Situation
Edward Snowden: Don't fear Trump, fear the surveillance state
http://www.zdnet.com/article/snowden-talks-surveillance-trump-post-election/