のろにん | weblog -α-

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なんとな~く  思いつきで  好き勝手に  (=゚ρ゚=) ボヘー  っとやってます。


10月です。
例年の如く、季節の変わり目は体調が宜しくない訳でして、具体的な病名が付く様なもんではないにしろ、この時期は常にどっかしら調子悪いです。
まぁ、みんなそんな感じか。

さて、そんな事はさておき、イベント好きな方々にとっては、もうすぐハロウィンですね。
また "仮装して騒ぐだけのアホの群れ" が闊歩するんでしょうな。
あちらでは子供向けの季節イベントだけど、日本では違う意味で子供向け・・・というか、ガキの戯れっていう。

ハロウィンもイベントとしてすっかり認知されたもんで、また国内のあちこちでハロウィンをテーマにした行事が催されたりしてます。
俺はそもそも派手なイベント事が嫌いなんでアレですが、楽しもうというスタンス自体は否定しちゃいません。
もっとも、『提供された何かを受け身で楽しむ事』 が真の楽しみだとは思えませんが。

さて、ハロウィンイベで最近話題になったのが、『USJの人形展示騒動』 ですね。
今回はそれのみを取り上げてみようって魂胆です。
・・・他の話題まで取り上げると、全部まとまる前に力尽きるからねw

騒動の経緯を簡単に説明すると・・・
まず、USJがハロウィンイベントの一環として、『祟(TATARI)~生き人形の呪い~』 というアトラクションを企画したのが始まり。
アトラクション内容は 「ウォークスルー・メイズ」 とあるので、要するに徒歩で迷路を進むタイプの古典的なお化け屋敷でしょう、多分。
で、問題となったのは、同アトラクション施設内に展示される多数の人形が、人形供養で有名な 『淡嶋神社』 から直接借り受けたものである・・・という点。
つまり、実際に供養として奉納された人形が、ホラーアトラクションの展示物として並ぶという事。
え~・・・実に悪趣味ですねw

無論、USJ側と淡嶋神社が合意の下で進めた企画なので、両者間の問題は無い訳です。
ところが、そこに物言いをつけたのが、『日本人形協会』 という組織。
日本人形協会は、人形の製造・販売メーカーが約400社ほど加盟している国内最大の一般社団法人。

- USJにおける人形展示は、日本人形の印象を著しく貶める行為であり、製造・販売業務を妨害する行為でもある。 又、淡嶋神社に持ち込まれた人形を、元の所有者の許可無く展示品として貸し出すという行為も、社会通念として問題視すべき事柄である。 故に、人形展示には断固として抗議し、人形のイメージ悪化を招く行為は一切しない様、要求する。 -

・・・というのが日本人形協会の主張
まぁ、一見した限りでは、業界としてそれなりにマトモな主張にも思えます。

この抗議に対し、USJ側は 「法的根拠が無い」 として突っ撥ね、淡嶋神社も 「人形は人に見て貰う事こそが供養である」 という見解を示し、やんわりと抗議をかわしました。
そして、もはや恒例とも言える 『ネット界隈での賛否両論』 が繰り広げられ、注目度が一気に上がった事で、TV等のメディアでもこの件が取り上げられる事になりました。
ここまでが騒動の概要です。


さて、この件を今回取り上げようと思ったのは、"テーマとしてオカルトが根底にある" という事と、別々の職種でありながらも、同じ人形を取り扱う立場でどの様に違った捉え方をしているか・・・という点が面白いと思ったから。
まぁ、単にツッコミどころが大きくあったってのもアレだけど。

では、ここから色々と突っ込んでみましょうね。
まずは・・・この件で一番俺が 「ちょい待て!こら!」 となった事について。

TVの某ニュース番組において、日本人形協会のお偉いさんらしき人が取材に応じてました。
勿論、主な主張は上記した内容だったんだけれども、そこでそのお偉いさんらしき人がこんなセリフを吐いた訳です。

「第一、人形の髪は勝手に伸びたりしないし、勝手に動いたりもする訳ないんですから!」

この発言は戴けない。
このセリフさえ無ければ、俺は日本人形協会に対してもう少し緩い目で見てたと思います。

軽い気持ちで、あるいは取材が来た事で調子に乗って言ってしまったのかも知れないけども、言った以上は発言に責任を持ってるんでしょうから、それがいかに迂闊なドアホの発言だったのかを検証してやろうじゃないかと、そういう事です。


人形というのは、文字通り 『人の形を成すもの』 です。
古くは埴輪土偶といったものから始まり、こけし等の郷土人形、庶民的な市松人形・・・と、種類は数多くある訳ですが、そもそも人形はどういった理由で作られ、普及したんでしょうか

最古とも言える人形と言えば、歴史でも習った埴輪や土偶という事になります。
古墳から出土される埴輪は、生け贄の代わりとして、あるいは死者の魂の依り代として、権力や財力の象徴として・・・と、その目的は諸説あって明確にはなってませんが、いずれにしても 『人の代わり』 であり、世界各地の遺跡等でも同様の物が確認されてます
又、土偶は、精霊崇拝の象徴だったという説や、魔除けや病除けの道具だったという説があり、これまた目的が明確にはなってないものの、やはり 『神や人の代わり』 として作られてた訳です。

つまり、そもそも人形というのは、偶像崇拝における神霊といった "実体の無い存在" を可視化する為の代用品であったり、"富や名声を表すアイコン" としての代用品であったり、"生け贄の代わり" だったりしたという事なので、いずれにおいても 『生命や意思を持った存在の代わり』 という意図を以って作られたという事になります。
この段階で、既にオカルトの要素が多分に含まれている事ぐらい、バカでも解りますよね

もう少し時代が進むと、郷土人形や工芸品としての人形も登場する訳ですが、そういった時代になってもまだ、人形と神仏との関係は深く繋がりがありました
かつて政治にも直結していた 『陰陽道』 を知ってる人は多いと思いますが、ああいった呪術・占術においては、物質的ではない存在(神霊・魔物の類)を物質的に表す方法として、依り代を用いました。
一口に依り代と言っても種類は豊富で、ポピュラーなのは紙を人の形にした形代(かたしろ)と呼ばれる物。
その他にポピュラーな依り代と言えば、現在も呪いのアイテムとして知られる 『藁人形』 なんてのもあります。

つまり、人形というのは、良くも悪くも 『大昔からオカルト的な背景のある物』 なんです。
オカルトありきで人形は生まれ、普及しました。
今現在も人形とオカルトには深い結び付きがあります。
今回の件を語る上で、これは極めて重要なポイントです。


人形はあらゆる目的で作られ続けました。
最初から工芸品として美しく作られた人形であっても、実際は 「厄災を身代わってくれるもの」 という意図があったり、子供向け玩具として作られた人形であっても、場合によっては "形見の品" という事で、単なる玩具以上の扱いをする場合もある訳です。
つまり、意図としての人形が 「ただの人形」 であっても、作り手や持ち主がどう取り扱うか次第で、それは 「ただの人形」 ではなくなる場合も当たり前にあるという事ですね。
となれば、いわゆる怪談で語られる様な 「髪が伸びる」 とか、「勝手に動く」 といった怪異なんて起きなかったとしても、人形に対する "畏怖の念" というのは、大抵の人が抱いていて不思議な事ではないし、実際、人形を 「怖い」 と感じている人達が多いのも、決して人形怪談のせいではないという事になります。
むしろ、その反応は本能的なものでしょう。

そもそもオカルトとの繋がりが深く、更に本能的に畏怖の念を抱かせるのが 『人形』 だという事になれば、人形を恐怖のアイコンとして扱うのは決して常識外れな事じゃないですよね。
今回の件は、ハロウィンを背景に "お化け屋敷の演出" として企画された事なので、意図的に人形自体が持つ怖い印象を誇張するのは当然ですよね、商売ですから。
それが気に食わないという主張は人形に関わる業界としてあると思うけども、それならば 「人形は怖いものじゃない」 なんていう "ナンセンス極まりない物言い" をするのは愚か過ぎます。
「人形には怖いイメージがあるけれども、そこを誇張されると業界的に色々と辛いんで勘弁して下さい」 という筋の通った主張だったのであれば、日本人形協会のイメージを悪く捉える人は少なかったのでは?
イメージについてケチをつけた結果、自分達のイメージを全くコントロール出来ていない・・・という、ホントにバカの極みみたいな事になってるのは、誰が見たって愚かですよね。


さて、どんなに精巧で美しい人形を見たとしても、どこか 「怖い」 と思ってしまうのは人間の正常な反応です。
それはロボット工学の世界で提唱されたところによる、『不気味の谷現象』 と同じ理屈です。
人は 『人ではない存在』 の外観や動作が人に似ていると好感を覚えるものの、一定の類似性を超えると途端に不快感が強くなり、更に見分けがつかなくなるほど類似すると、再び好感に転じるという法則、それが 『不気味の谷現象』 です。
この本能的反応を踏まえると、まさに人形というのは 「精巧であるほど不気味」 だという事になりますよね。
人形を怖いと感じる理由は、そんな人間の本能的な反応とも関係している訳です。

不気味の谷現象、オカルティックな背景、依り代としての用途。
これだけの要素が揃っていれば、人形から負のイメージが払拭出来ないのは当然じゃないでしょうか。
生物の反応として恐怖を感じるのであれば、それは人類の必然です。
そこにケチをつけるバカは、どうにも救い難い底無しのバカですよ。


ここまでの事を踏まえると、件の淡嶋神社を代表として、全国的に人形供養が行われているのは極めて自然だと解ります。
日本文化として、人形文化として、人形の扱いは必然的にそういったものになった訳ですよね。
怪異など無く、怖くも無く、美しいだけの物であれば、誰がわざわざ手間や金を掛けてまで神社に持ち込むもんか・・・って話です。
そこらのゴミ捨て場に放り投げてオシマイにしないのは、そこに思い入れがあったり、畏怖の念があるからでしょう。

人形が勝手に動いたり、髪が伸びたりしないのは、常識的に誰しもが承知してます
それでも、人形をただのゴミとして処分しない人は多いんです。
人々にとって、人形は恐怖を感じるものなんです。
「そんな事はない!」 と主張するなら、その人の感性こそが "異常" なんです。

日本人形協会のお偉いさんが幾ら "したり顔" でほざいたところで、その発言には微塵の説得力もありません
むしろ、人形文化についての知識も無く、先人に対してのリスペクトも無いという事が明確になっただけです、業界の人間のクセに
実に愚かですね。

人形には確かに負のイメージがあります。
でも、人が畏怖の念を抱く事自体がネガティブだと捉えているなら、その考え方こそネガティブというもの。
どんなに人形に畏怖の念が付き纏っても、人形文化は今現在もしっかりと残ってますよね
人形は作られ続け、特に日本人形は海外からも称賛される日本文化の一つです。
こうして人形文化が続いているのも、人形に対する畏怖の念が根底にあるからだと言えなくもない訳ですよ。
怖いからこそ 「大事に取り扱おう」「粗末に扱ってはいけない」 って気にもなりますからね。
それこそが文化じゃないですか?
単純明快なポジティブイメージのものだけを 「好し」 とする価値観なんて、極めて頭の悪い奴の発想でしかないんです。


日本人形協会のサイトを見ると、「伝統文化の啓蒙と振興に努める」 とか、「業界の振興を図る」 と書いてあります。
しかし、それならばどうして、人形そのものの文化や歴史を踏まえて発言しないんでしょうか
勿論、お偉いさんの発言一つで業界の人々全員が同意見だとは思っちゃいませんが、協会を背負って発言した主張がああいったものであれば、それは組織としての見解という事になる訳です。
「儲かれば良い」 という拝金主義から出た発言の様にしか受け取れない主張を、日本人形協会に属する方々は平然と受け入れるんでしょうか。
"老害の戯言" だと我慢して口をつぐむんでしょうか。
業界から追放してもおかしくないほどのマイナスイメージを日本人形協会に植え付けたのに。
それならその時点で、組織として破綻してますよ。
自浄作用が働かないなら、業界の行く末も知れてますね。

ところで、日本人形協会では人形供養の代行も商売の一つとして行っているそうです。
料金は一箱で5千円だそうな。
言わば、淡嶋神社は人形供養の分野で最大手のライバルな訳ですね。
そりゃあ少しでも利益を上げたいと安直に考えたら、足を引っ張るチャンスは見逃せないでしょうね。
今回の件で、淡嶋神社のやり方が気に食わないって人も大勢居るでしょうけど、だからって日本人形協会に人形供養を依頼するのであれば、それもまた安直ですよね。
なんでって、日本人形協会が扱ってるのは "人形供養の代行" であって、直接の処分とかではない訳です。
つまり、商売である以上中間マージンが発生してるんですよね。
お化け屋敷に人形を飾るのはどうのってケチつけてるわりに、自分達は中間マージンで小銭稼いでてもOKって理屈、全然通じませんけど?


それから、今回の件でTwitterとかを見てると、人形供養自体を全く理解してないアホが平然と意見してたりしてヘソ茶でした。
偉そうな態度の日本人形協会は、まず人形供養ってもんの認識をしっかり浸透させる事から始めるべきなんじゃないの?・・・ってフツーに思いました。

人形供養は、納められた人形をまとめて供養し、処分する事です。
別に怪異が起きた人形だけが持ち込まれてる訳じゃないし、むしろそういった "いわく付き" の方が少数派です・・・当たり前だけど。
前述した様に、人形は怖いイメージがあったり、大事に扱う文化があったり、神仏と根深い関わりがあるからこそ、人形供養という形で処分する人が多い訳です。
勿論、そこらのゴミと一緒に出したって、祟りもへったくれもありっこないんですよ、常識的に言えば。
それは日本人形協会も主張してるじゃないですか、怪異なんて無い!って。
・・・あれ? それならどうして、日本人形協会は人形供養の代行なんて商売してるんでしょうね

ともあれ、人形供養が何なのかも解らないでコメントするバカほど祟られたら良いんです
そんなね、数百数千と当たり前に怪異を起こす人形があったら、それはもう "そういう種類の人形" として商売成り立つからなw
少しは考えるぐらいの事は出来ないもんなんだろうかね、ああいう輩は。


さて、今回の件で一番悪かったのは淡嶋神社ですよ、恐らく。
騒動の原因は、どう考えたって淡嶋神社だろうなと。
勿論、宗教的な見地からの価値観は理解するし、それを否定するのもナンセンスでしょうが、やっぱりね、余所様が供養を目的に納めたものを、許可も承諾も無しに見世物として貸し出したらダメよ。
いや、「供養として人形が喜ぶ」 みたいな言い分はホントに解るんだけど、それってオカルト的な見解でしかない訳ですよ。
社会ってのはオカルト前提の価値観では動いてない訳だから、当たり前にオカルト見解を持ち込まれてもですね、「・・・はぁ?」 って反応が大多数になっちゃうんですよw

『人形供養で有名な淡嶋神社の主張』 としては、全く立場としておかしくない意見ですよね。
だけど、世間はこの騒動でそんな説明を求めてない
「我々はオカルト畑の人間ですよ?」 って当たり前の顔されてもですねw、「オカルトである前に常識的に答えろ」 って反応は必然じゃないですか。
いや、これはオカルト好きな俺としてもフォローしたいところで微妙なんだけど、あの主張をすんなりOKにしてしまうと、「神社仏閣はなんでもアリ」 になっちゃうんですよね。
それは違うもんね、やっぱり。

「人形の供養として、人に見て貰う事に意味がある」 っていう見解が正しいとして、その根拠や証拠は示せない訳ですよね。
だけど、そういったスタンスが間違ってる訳じゃないんですよ、人形供養の目的自体がそもそもオカルトなんだから。
もっと言えば、神社自体もオカルトですからねw
神なんて存在しないし、存在するとしたって根拠は無い
それを前提として成り立ってるのが神社仏閣なので、そこにあるのは全てオカルトなんですw

結局そうなると、淡嶋神社の言い分についても、貸し出しを承諾した件についても、「そこはオカルトの領域での判断だからケチの付け様が無い」 って事になるんですね。
ただ、言っても彼らは一般社会に身を置いている人間でもあるので、世俗的な価値観を全く踏まえないのは戴けません。
「オカルト畑だから何でもオカルトで通せばOK!」 ってやられちゃうのはたまったもんじゃない
前述した様に、「神社仏閣はなんでもアリ」 じゃないんです。
だから、今回の件についても、あくまでオカルトな見解のみを出したのは卑怯だと思います。
人形の貸し出しが悪ではないにしても、"余計な事" だったのは間違い無いんですから。
まぁ、そこで 「神のお告げがありました」 とか言われたら完全にお手上げですがw

要するに、オカルトはオカルトの範疇に留めておくべき事なんですよ。
それが神社仏閣といった伝統や格式に則った文化であれば尚更、線引きというのは明確にすべきなんだと思います。
オカルトを前提とした価値観で物事を判断して万事許されるなら、それこそ神のお告げだと主張して無差別テロを実行するのもOKになってしまう。
そういう危険性も孕んでいるのがオカルトであるし、オカルトに関わる職種であるならば、よりそういったリスクも踏まえて判断はして欲しいもんです。
今回は些か、安直に考え過ぎてたんじゃないでしょうかね、神主。


といった訳で、今回は人形展示騒動について掘り下げてみました。
ちなみに、USJについての言及がほぼ無いのは、そもそもアトラクションで商売する企業である事と、ズバ抜けて悪趣味なのが周知の事実だからですw
まぁ、あれぐらい下品なのが企業カラーだと認識してるって事ですねw